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2018/05/23

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.24

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.24

日本選手権が終わり、京王閣記念、名古屋記念と続いて、あっ!という間に5月も終わります。現役時代もこのように一つ、一つの開催をこなしていくだけで、月日が瞬く間に流れていったことを思い出します。

名古屋記念で、渡邉雄太(静岡105期)選手がG3初優勝を飾りました。まだ23歳の若手選手ですが、もう何十年も選手をやっているイメージを持っているのは私だけでしょうか?
この優勝を観た20代の選手たちは自分にもチャンスがある!と、思ったことでしょう。 この優勝を若手選手同士、お互いに良い刺激にして、切磋琢磨でレベルアップしていってもらいたいです。
このレベルアップという言葉にはいろいろな意味を込めていますが、日本選手権の優勝者・三谷竜生(奈良101期)選手は脇本雄太(福井94期)選手の先行を抜いて優勝。続く京王閣記念の優勝者・平原康多(埼玉87期)選手は吉澤純平(茨城101期)選手の番手から優勝。そして、この名古屋記念の優勝も簗田一輝(静岡107期)選手の番手からの優勝でありました。番手から優勝するということが悪いとは言いません。予想する側にしてみれば、誰が番手回るか考えればいいことなので予想はしやすくなる訳ですから。ただ、あまりワンパターンの勝ち方に偏ってくると、観ている人に飽きられてしまう恐れもあります。はい、豪快に逃げ切る姿もお客様にワクワク感を与えるには必要なのは言うまでもないでしょう。

ワクワク感という言葉は売り上げ低迷に悩む業界には重要な言葉でもあります。記念競輪の売り上げも50億円を下回ってしまう時代になりました。記念競輪の開催が前後半開催から1節になり、毎回、特別競輪の特選を観ているようで飽きがきたという意見にも納得。ミッドナイト競輪の売り上げが好調で喜んでいる現状ですが、一般ファンが競輪に使えるお金には限度があるはずです。記念競輪や特別競輪の売り上げがミッドナイト競輪へ回っているのならば、競輪業界全体の売り上げは変わらないということになります。
競輪学校に入学できる人数を減らしたことによって、スター誕生の確率が減ったのも事実です。また、今や“億り人”なる言葉ができるほど、世間では簡単に億という単位のお金を稼げる手段もある現実。命を懸けて戦ってまでも1億円を稼ぐことに、魅力が欠けるという風潮もスターが出てこない一因かも知れません。
先日、競馬のG1があり、売り上げは前年度から10%アップという結果で終わりました。景気が悪いから売り上げが悪いのはしょうがないと、言っている時代は終わりました。選手も含め、業界全体として早急に対策していかなきゃいけないことが多い、そのような『時』がきていることを実感した5月でした。

微力ではありますけれども、私は場内のお客様と競輪を楽しむこと、ファンあっての競輪をこれからも心がけていきたいと思います。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2002年に記録した年間最高賞金2億4,434万8,500円はいまだに破られていない
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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