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2018/07/08

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.27

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.27

2018年の下半期が始まりました。「早っ!」という感じで今年の後半がスタートした訳ですが、競輪界の下半期は新人選手がデビューするので、新年を迎えたような新鮮な気分で下半期を迎えます。 今回は113期と114期がデビューとなります。もちろん、私は解説をする機会もあるので、新人選手の情報も頭に入れておかなくてはいけません。そこで各選手のプロフィールをまとめた記事に目を通しました。
そこには「ダッシュには自信があります」だとか「地脚を活かした先行が得意」だとか、各自が思うセールスポイントが書かれています。その中で私が一番気になった言葉、それは「練習量は誰にも負けない」です。
はて?プロになった人から「練習量は誰にも負けない」という言葉が出てくるとは!?プロは練習も仕事、当たり前だと思うのですけれども。

私は“東西両横綱”と、呼ばれていた神山雄一郎(栃木69期)選手や吉岡稔真(福岡65期・引退)選手に勝つためには、当然、彼らよりも少しでも多く練習するしか勝つ術がないことを痛感していました。ですから、全ての選手たちに勝つためには、練習量は誰にも負けないことを自負。しかし、当時の私は練習量が多いことを自慢するなんて……素質がない、他の選手たちより多く練習しなきゃ勝てないことを認めているだけ。素質に恵まれた選手はたいした練習をしなくても勝てるだろうから、練習量を自慢するのは恥ずかしいことだと考えていたのです。
新人選手には厳しくなってしまいますが、これだけはハッキリ言っておきます。お客様から大切なお金を賭けていただいて、賞金を稼いで食べていく。もう“アマチュア”ではなくて“プロ”なのです。練習するのは当たり前のことで、自慢するものなんかではないのです。これは長く選手を続けている先輩選手たちにも通じるところで“初心忘るべからず”であります。
私が引退を決意した理由の一つに、坐骨(ざこつ)神経痛が出たりしたことで、納得がいく練習ができなくなったことがあります。“プロ”という言葉の重みを感じなくなった選手の割合が増えていけば業界は衰退していくばかり。高い意識を多くの選手が持つべき時ではないでしょうか。

今月は松戸でサマーナイトフェスティバル、ガールズケイリンフェスティバルが開催されます。松戸といえば、数ある333mバンクの中でも7番手からの捲りは余程の力の差がないと届かないイメージが強いバンクであります。ですから、今開催でも先行する選手の番手、もしくは中団を巧く位置取りできる捲り選手が有利になってくるのではないでしょうか。サマーナイト優勝者は“夜王”や“夜の帝王”などと呼ばれるので、参加選手たちにはこの称号を貪欲に狙って欲しいもの。
ガールズの方は年末にグランプリもありますが、現時点でのNo.1を決めると言っても過言ではない豪華メンバーでの開催です。ガールズの力量と順位を見極めるという意味でも是非、注目して観ていただきたいところです。

梅雨明け宣言が出たにも関わらず、雨が降り続いているうえに、多くの地域で記録的豪雨による甚大な被害が出てしまっています。これが最小限に留まり、サマーナイトは真夏の祭典と呼ばれる開催にふさわしい好天に恵まれることを願いながら“夜王”の走りに酔いしれたいですね。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2002年に記録した年間最高賞金2億4,434万8,500円はいまだに破られていない
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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