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2018/08/01

Junko Shitara

心に残るベストショット Vol.12

心に残るベストショット Vol.12

弥彦競輪場が全国から大きく注目を浴びたのが平成元年(1989年)に始まった『ふるさとダービー』でした。まずは広島、次に福井と行われ、3場所目の平成3年(1991年6月)に組まれたのが『ふるさとダービー弥彦』でした。“ふるさと”の名称がこれほどピッタリくる場もなかろうという声がしきりに挙がったもの。開催のキャッチコピーも“ステキな村の競輪場”で、文句なしに秀逸だったものです。
今では当たり前になった4日制の開催はこの頃に始まりました。これまでは通常3日のトーナメント制。G1特別競輪は6日制の中で、4走がパターンとなっていますから、途中に休む日が挟まるのです。4日制の勝ち上がりにはこのインターバルともいうべき休日がないので、ベテランの自力型選手にはコンディションの調整が厳しいという訳です。

さて、平成3年6月25日の『ふるさと弥彦』の決勝戦は坂本勉さん(青森57期・引退)が先行日本一のプライドを懸けて一気にカマシ、追走の俵信之さん(北海道53期・引退)がこのチャンスを逃さず優勝。ファン向けの優勝者当てクイズの賞品が米処の新潟にふさわしいコシヒカリ米10俵でした。優勝者の“俵”に、副賞の“米”と、なんとも愛嬌のある結果という余録(よろく)も忘れられません。

この取材や観戦を終えて、競輪場を後にした時、その居心地さに改めて足を運んでみたいという思いにかられました。弥彦村の小学校の副読本『わたくしたちの弥彦村』に競輪場が紹介されています。また、ホームページ上にも名所・史跡のコーナーで弥彦競輪場のことも漏れることなく記載。こうした村のみなさんの努力や姿勢がこうした大会の総売上にも反映され、前回の『ふるさとダービーを大きく上回る177億円の数字を弾き出しました。毎回、売り上げの上がっていった時期とも重なるのですが、弥彦競輪場の奮闘はいつも話題になっていたものあります。
もう一つ、競輪旅打ちファンにオススメしたいのは冬の弥彦競輪場です。冬になると雪に覆われてしまうので開催はありませんけれども、静寂に包まれた雪景色の弥彦競輪場と神秘的な雪の彌彦神社は一見の価値あり。もちろん、温泉に浸かって冬を堪能するにはもってこい。これも「思い出に残る競輪旅打ち」かも知れませんよ。

【略歴】

設楽淳子(したらじゅん子)イベント・映像プロデューサー

東京都出身

フリーランスのアナウンサーとして競輪に関わり始めて35年
世界選手権の取材も含めて、
競輪界のあらゆるシーンを見続けて来た
自称「競輪界のお局様」
好きなタイプは「一気の捲り」
でも、職人技の「追い込み」にもしびれる浮気者である
要は競輪とケイリンをキーワードにアンテナ全開!

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