TOP > コラム > 恋して競輪ハンター

コラム

一覧へ戻る

コラム

2018/08/13

Sakura Kimihara

恋して競輪ハンター

恋して競輪ハンター

『恋して競輪ハンター』木三原さくら=18 Hunting

この原稿を書いている時点で、既にスーツケースや大きな鞄を持って駅を移動する人たちの姿を多く見かけるようになりました。世間的にはお盆の長期休暇ですね。旅行に行かれる方、故郷に帰省される方、休みではなくお仕事をされる方、様々な人が駅の中を行き交っている光景は少し日常と異なるものです。
私は8月のお盆休みも競輪三昧です。お盆に実家へ帰ることができないので、先月の休みを利用して帰省、祖父のお墓参りをしてきました。

私の祖父は昔、競輪が好きで、よく岐阜競輪に通っていました。竹内久人(岐阜37期・引退)選手をよく応援していたそうです。私は祖父が競輪を好きだったことを知りませんでした。残念ながら私が競輪の仕事をするようになった頃には、スッパリ競輪をやめていたのです。また、あまり出かけることもなくなってしまっていたので、祖父とジックリ競輪の話しをしたり、一緒に競輪場へ行くということはありませんでした。
祖父が亡くなって数年、私の知識もチョットずつ蓄えられてきています。過去の競輪も徐々に学び、以前よりもズーッと、競輪を知った今になって改めて祖父と競輪を語り合いたかった気持ちは強くなるばかり。竹内さん以外にも好きな選手がいたのか?どんな買い方をしていたのか?私と祖父の買い方に似ているところはあるのか?祖父の思い出のレースはあるのか?尋ねてみたかったことは溢れてくるばかり。
もう祖父に尋ねることはできませんが、その代わりに時々、祖母が教えてくれます。先月の帰省の際も「おじいちゃんによく競輪場に連れて行ってもらったのよ」とか「おじいちゃんは負けないように買うのが上手だったのよ」と、祖母が話してくれたのです。祖母と実家の食卓を囲んでお茶を飲みながら、競輪の話しで盛り上がりました。もちろん、その間は祖父のことを胸の内に留めながら。

競輪場にいると、家族連れて遊びにきてくれる方々がいます。子供たちは車券を買うことはできませんけれども、お父さん、お母さんが買った選手を金網越しに応援したり、見よう見まねでマークシートを塗って遊んだり。そんな光景を眺めているだけで私の心は弾みます。
何十年と経った時に、初めて足を運んだ競輪場が家族の楽しい思い出として心に刻まれているといいなと思います。そして親子で、兄弟で、次の世代の自身の子供たちと、そんな思い出を語ってくれたら、なおさら嬉しいです。

競輪ファンそれぞれに、好きな選手、よく行く競輪場、思い出のレースなどがありますよね。そんな競輪への思いや出来事はその人だけのものではなく、周りにいる人がその人を思う時の道案内の一つとなるのかも知れません。
◯◯選手を好きだったあの人は今も元気にしているかな?と、その選手が走っている姿で思い出すなんてこともよくあります。
仮に疎遠になってしまっていても、もう二度と出会えなくても……選手が走る限り、競輪が続く限り、どこかで繋がっているような気持ちになるはずでしょう。

【略歴】

木三原さくら(きみはら・さくら)

1989年3月28日生 岐阜県出身

2013年夏に松戸競輪場で
ニコニコ生放送チャリチャンのアシスタントとして競輪デビュー
以降、松戸競輪や平塚競輪のF1、F2を中心に
競輪を自腹購入しながら学んでいく
番組内では「競輪狂」と、呼ばれることもあるほど競輪にドはまり
好きな選手のタイプは徹底先行
好きな買い方は初手から展開を考えて、1着固定のフォーメーション
“おいしいワイド”を探すことも楽しみにしている

ページの先頭へ

メニューを開く