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2018/08/29

Norikazu Iwai

脇本雄太G1初優勝

脇本雄太G1初優勝

やっと、遂に脇本雄太(福井94期)がオールスター(いわき平)でG1のチャンピオンに輝いた。2010年、初のG1出場となった寛仁親王牌(前橋)でいきなり決勝に駒を進めて周囲を驚かせた。2012年の高松宮記念杯(函館)は打鐘から先行したものの準V。今回のオールスターで決勝に進出すること14回目、これまでにもチャンスがありながらも、あと一歩、手が届かなかったのが脇本だった。

最初の頃は欲もなかった。決勝で脇本の後ろを回るのは村上義弘(京都73期)であったり、稲垣裕之(京都86期)ら。最近では三谷竜生(奈良101期)ということも増えてきた。性格的に優しい脇本はラインの結束を重視していた。しかし、ここ数年は欲が出てきていた。プロである以上、タイトルを獲れるか、獲れないかは大きな違いを持つ。周囲には「ズッと、獲れないかも知れない」と、漏らしていた時期もあったらしい。普段は明るく、小さなことを気に留めないタイプだと思っていたが、意外に(失礼)繊細なタイプのようだ。

2016年のリオデジャネイロ五輪に出場するも結果を残せないまま失意の帰国。しかし、そこから2020年の東京五輪への挑戦が始まった。昨年12月、ワールドカップ・チリ大会ケイリンで日本人4人目となる金メダルを獲得、凱旋記者会見では多くの報道陣が詰めかけた。それと時を同じくして本業の競輪でも成績が急上昇してきた。自転車ナショナルチームのヘッドコーチであるブノワ・べトゥの指導が、競技だけでなく競輪でも実を結んだのだ。簡単に言えば「一瞬の力、どこでMAXの力を発揮できるか」ということだ。過去、日本の指導者たちは持久力を重視してきたが、ブノワの考え方は真逆。でも、それが脇本にはマッチしたようだ。あれこれ考えず、ここだという時に最高のパフォーマンスを演じられるかどうかだ。
また、昨年のうちに入籍を済ませ、5月に挙式したこともプラスに作用したのかも知れない。福井からナショナルチームの拠点がある伊豆に居を移した。それまでは1人の生活だったが、夫人と暮らすようになり食事面での不安が消えた。家族を持ったことで責任感も一層、芽生えたに違いない。東京五輪へ向け、競技に集中できる環境が整ったのは大きかったはずだ。

東京五輪の自転車競技に開催国枠はない、自らの力で掴み取るしかないのだ。だからシーズンが始まると、競輪競走にもなかなか参加できない。今回、脇本もラストチャンスのつもりで臨んだ。来年になればほとんど出場はできない。オールスターを勝ったことで年末の12月30日のKEIRINグランプリ(静岡)の出場権(*1)を得た。参加大会が限られる中、賞金上位者での出場は難しかっただけに、この優勝は大きなものになった。

この原稿を執筆中、脇本はインドネシアのジャカルタで開かれているアジア大会に参加している。オールスターを勝った2日後には日本を飛び発った。ハッキリ言ってしまえば、アジア大会は世界規模の大会ではない。しかし、東京五輪でメダルを狙う脇本にとって、負けが許されない大会でもある。これは脇本だけでなく、参加している日本の代表選手全員に言えることだ。アジアで勝てなければ、世界で勝てるはずがない。アジア大会の金メダルを手にして帰ってくる脇本の姿を見てみたいものである。

(*1)正式決定は競輪祭後

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