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2018/08/31

Junko Shitara

心に残るベストショット Vol.13

心に残るベストショット Vol.13

曽田さんのようにどれほどアナウンサーとしてのキチンとした下地を持っていても、いきなりのレース実況は無理難題というものです。スポーツ実況自体がアナウンサーの仕事の中でも特殊、特別なもので、どこの放送局でも相当の訓練期間を割いてから現場に出るのが今でも常識です。それが仕事当日にいきなり、しかも見たことも聞いたこともない競輪のレースを、出走表1枚を差し出されて「はい、どうぞ宜しくお願いします」そう言われて喋れる人は絶対にいる訳がありません。どれほどの困惑と混乱の中で過ごしていたかを思うと同情を禁じ得ませんでした。短い滞在期間の中で可能な限りのお話しをさせていただきました。また、帰京した後には資料やVTRなどで競輪を説明するものを送り、私の尊敬する大先輩・ラジオ日本の樋口忠正アナウンサーを紹介してお話しをいただいたりしました。

それから毎年、富山に行くたびに競輪場でレース実況をする曽田さんの部屋を訪ね、年を追うごとに彼女のスペースが居心地よさそうに整えられていくことを実感しました。周囲から受け入れられ、そして、その為の努力を彼女が欠かしていないんだなと、とても嬉しかったものです。チョット色っぽいお姉さんな声で、ともすると最終周回あたりは叫び声になりかかるものをキチンと押さえる。一言、一句、聞き取りやすい実況はさすがアナウンサーと思わせるものでした。
レース実況は男性の声でもヒートアップされると聞き取りづらくなります。ギャンブルである以上、たとえ9着の選手でもゴールまで映像とともに動きを伝える必要があります。楽しんでもらうだけのスポーツ中継とは違います。正確に伝わっているのかを大切に考えて欲しいもの、アナウンサーは聞き取りやすい声、聞き取れる話し方、言葉遣いを心がけてもらいたいと思います。
だから曽田さんのように苦労しながらも競輪を伝えようと、懸命に努力されている方は当時の競輪界にとってありがたい存在でした。

富山競輪場のレースでこれはというものをあげるならば2006年のふるさとダービー富山です。私にしては最近のレースで、しかも実は現地には行かれませんでした。それが悔しくて覚えているのです。
優勝したのが平原康多(埼玉87期)選手、ビッグ初優出、初優勝!しかもこの時はケガから復調してきた武田豊樹(茨城88期)選手とは別線勝負も、平原選手らしい思い切った先行勝負で逃げ切っています。今日の活躍のスタートになったレースであり、やっぱり、この目で観ておきたかったなぁと、今も思うレースです。

【略歴】

設楽淳子(したらじゅん子)イベント・映像プロデューサー

東京都出身

フリーランスのアナウンサーとして競輪に関わり始めて35年
世界選手権の取材も含めて、
競輪界のあらゆるシーンを見続けて来た
自称「競輪界のお局様」
好きなタイプは「一気の捲り」
でも、職人技の「追い込み」にもしびれる浮気者である
要は競輪とケイリンをキーワードにアンテナ全開!

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