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2018/09/20

Natsu Sakurai

競輪に夢CHU Vol.7

競輪に夢CHU Vol.7

みなさん、こんにちは!グラビア車券師・桜井奈津です。
9月11日という日は考えさせられた日でした。アメリカ同時多発テロ事件、あまりにも有名なこの大惨事は2001年のこと。その7年後、2008年の同じ日、第51回オールスター競輪(一宮競輪場)の第7レース(13時15分発走)に出走した内田慶(栃木87期)が落車事故により亡くなりました……まだ27歳という若さでした。
この事故のことは私が競輪に出会ったばかりのある日、テレビ番組で取り上げられていたので知ったのですが、正直にかなりの衝撃を受けたもの。しばらくの間は「どうしてだろう?」とか「なんてこわいんだろう」という感情ばかりでした。

競輪はレースを生で観ると、迫力やスピード感に圧倒されます。その中で選手たちは常に命の危険と隣り合わせで、怪我も絶えません。他のスポーツと違って、シーズンオフがなく、ひたすら練習と斡旋(レースで走ること)を繰り返しているのです。

以前、某競輪選手のトークショーに出演させて頂いた際のこと。
「選手というのはどこにいても、何をしていても、競輪のことや競走のことが脳ミソにこびり付いている。けれども、それは至って普通のこと。1日休むことは簡単だけど、そうしている間に他の選手たちに追いつかれたり、置いていかれる恐怖で潰されそうになる……だからこそ練習し続ける」
そう話して下さったのを鮮明に覚えています。
もちろん、どんなお仕事もそれぞれ大変ですし、それぞれに素晴らしいでしょう。しかし、プロフェッショナルとは極める程に、想像をはるかに越える辛いこと、苦しいことが多いのではないとか思います。

生前の内田さんは「誰がこれから強くなるか?」と、聞かれた時には同期の平原康多選手(埼玉・87期)の名前を挙げていたそうです。その平原選手は日本一になったら報告したいと、御墓参りに足を運ぶ度、ノートに日付と名前だけを書き残しています。
テレビ番組でその様子を観ていて、私は平原選手が日本一になるのを応援したいと思ったのと同時に、もしも自分がその立場だったらどうだろう?怖くなって自転車に乗り続けられないかも知れないなど。様々に思いを巡らせたものです。でも、それは本人でなければ分からないし、私は何も知らないくせに考えること自体が失礼な気もしてきました。ただ、母、及び育ててくれた父の両方を亡くしてから、生に執着する気持ちがなくなっていた私はこのエピソードと競輪というものに心動かされました。その先、今につながる人生のヒントになっているのは事実です。

平原選手はKEIRINグランプリ、年末に行われる頂点の座を決める一発勝負のレースには2008年~10年、13年~17年と、合計で8回出場していますが、まだ優勝はありません。
展開7割と言われる競輪は個人の脚力だけではなく、ラインというチームの総合力や結束。それに加えて、駆け引きや運の要素も関わってきます。全く同じメンバーで戦っても、全く同じ結果にはならないから面白いのですが、だからこそ難しい。
「良いことは1%か2%しかなくて、辛くて苦しいことばかりですけど。毎日、その1%か2%を目指して頑張っているので。」
平原選手がインタビューで残している言葉です。勝手ながら私は辛いなと、思う時にはこの平原選手の言葉を思い出しています。どこまでも限界を越えて挑戦し続け、進化し続ける“人間のドラマ”である競輪。きっとそれぞれの人生のヒントになるようなことも、何気なく転がっている気がしています。時には3分間のレースの中に、時にはインタビュー記事の中に。

私は微力ながらも、何とかまだ生きていくためのヒントをくれた競輪に恩返しをする方法をズーッと、考えている最中です。競輪を知ってくれる方や興味を持ってくれる方が1人でも増えて欲しいですし、その人たちが何か心動かされることに出合えますように、夢を一つでも叶えられますように。

高知で行われた共同通信社杯。実は私もKEIRINグランプリ2018静岡アンバサダーとして現地にお伺いしていました。
そして、文末になりましたが、優勝した平原選手、本当におめでとうございます!!

【略歴】

桜井奈津(さくらい・なつ)

1988年9月5日生

愛知県出身

青山学院大学経済学部中退

ミス東スポ2016グランプリ

KEIRIN GP 2018 静岡アンバサダー

旅打ちが好き

全場制覇の旅は現在43場のうち31場制覇(2018年9月20日現在)

帰りの交通費がなくなるとsuicaをみどりの窓口で返却

デポジット500円を手に入れるという特技をよく使っている

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