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2018/10/24

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.34

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.34

10月に入り、秋らしさが一層に深まってきたと思う毎日です。食欲の秋ということもあり……現役選手の同席する食事会で同じように食べていれば、太ってきてしまう。後輩の選手たちからは「山田さんは現役選手よりも食べていますよ」と、言われてしまう始末。この秋から冬も“デブへの道”を突き進む予感。そして、検車場で選手たちから「太りましたねぇ」と、指摘されて減量の努力をするという繰り返しで1年が回っています。少しは運動すればなんとかなるのでしょうが、運動することが嫌になって現役選手を辞めているのですから、なかなか軽い運動ですらヤル気の起こらないグータラ生活になっています。そのうち大病になって、痛い目にでも遭わない限りは反省できないのでしょうね。。。

今年は台風上陸や大雨に見舞われる夏でした。全国各地で被災に遭われた方も多く、大変な年になったと思います。その台風のせいで地元の花火大会が順延、順延で、中止になると思っていたのですが、この10月の土曜日に寒い中で行われた花火大会は季節外れ感がメッチャありました。大垣で生まれ、大垣で育って50年、こんな寒い日の花火大会は初めての経験でした。平成最後の花火大会ということもあり、そういう意味でも心に残る花火大会になりました。
寒い中での花火大会、私は大垣ミッドナイトでスタジオから観ていました。花火の打ち上げ場所のすぐ側に家を建て、3階にベランダを作ってバーベキューまでもできるようにしたのに……いまだに私は仕事のため、自宅で花火大会を楽しんだことは1度もなく、喜んでいるのは子供たちだけです。その子供たちも4人もいたのに結婚、就職、学校などで今は3人が自宅にいません。4人目の子供も受験を機に、自宅を出ていきそうです。平成が終わってしまう来年、結局、3階のベランダは我が家で無駄な場所になってしまいます。次は自宅のベランダで野菜でも作って、少しは役に立つ空間にしようかなとか考えているところであります。

さて、もう随分と前のことに感じてしまう前橋G1、寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメントの決勝戦。脇本雄太(福井94期)選手が清水裕友(山口105期)選手の先行3番手から捲って優勝!オールスター競輪に続いて、特別競輪連続優勝で幕を閉じました。ナショナルチームで練習している選手にとっては室内、かつ333mバンク(前橋は335mバンク)は自分の庭で戦っているようなものなのでしょうね。手のつけようがない強さだったと思います。
この決勝戦を観ていて、3番手に入ったにも関わらず、打鐘からカマシていった清水選手の走りは素晴らしいと思いました。3番手に入っていれば脇本選手の先行でそんなに捲られることはないでしょう。ですから、そのまま流れこんでも3着、後ろから抜かれたとしても大敗はありません。しかし、その位置を捨ててのカマシ先行です。結果、捲られこそしましたが、レース後のコメントでは「あのまま3番手にいても、脇本さんを捲ることができるなんて思えない。だから、カマシました」のだと。これは強い選手に勝つための基本であって、強い選手より後ろにいても勝てる訳はありません。確かに落車などのアクシデントがある競輪ですから、ゴールするまではどのような結果になるのかは分かりません。ただ、勝つためにレースを組み立てる基本は最も強い選手を後方に置くことです。強い選手がやりたいレースをやりたいようにさせていては勝てるはずがありません。

最近、私はミッドナイトの放送にも出る機会が増えたことで、さらにレースを観る機会も増えました。そこで感じるのは、脚力があってもレースの組み立てが巧くないと、7車立てでは通用しても9車立てでは苦戦している選手が多数いるということです。肉体を鍛えるのも立派な練習ですが、レース運びを考えることもとても大事な練習です。今回の清水選手の走り、レースに対する考え方は、特に自力選手は参考にしていただきたい。そのような見本が特別競輪の決勝で観ることができたシリーズでした。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2002年に記録した年間最高賞金2億4,434万8,500円はいまだに破られていない
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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