TOP > コラム > “帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.46

コラム

一覧へ戻る

コラム

2019/04/26

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.46

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.46

『ファンあっての競輪』__常々、競輪界ではよく言われていますし、耳にする機会も多い言葉。そうです、ファンのみなさんが大切なお金を使ってくれることによって、売り上げの一部が公共事業などに使われ世間の役にも立っている。そして、その売り上げの一部は選手の賞金にも使われ、競輪選手は仕事として成り立ち、生活ができているのであります。このことを理解しているからこそ『ファンあっての競輪』という言葉がよく使われるのでしょう。しかし、この“ファンあっての”は競輪界だけの言葉ではなく、どこの業界にも当てはまるものであります。

以前、私は飲食店を経営していましたが、これもファンである“お客様”が足を運んでいただけなくなると、当然のことながら売り上げも減少し、従業員の給料も払えなくなってしまう事態に。はい、営業として成り立たなくなってしまいます。ですから、飲食店の経営をするにしても“ファンサービス” と、言われるような経営努力をするものです。その他に私は不動産賃貸業にも手を出していますが、同様に“ファンあっての”という言葉を実感します。 そうです、入居者がいなければ、家賃収入も得られずに何をしているのか分からない状態になってしまうからです。他の賃貸業者と違う差別化を図ることにより1人でも多くのファン(不動産では入居者)を獲得するために努力をするのです。
このようにどの世界、どの業界でも、ファンは絶対に必要。重複しますが、ファンを獲得するための努力と差別化が必要なのは世の常ですよね。

先日、大横綱の白鵬関が優勝して、表彰式後に三本締めをしたということでけん責処分が下りました。白鵬は以前にも万歳三唱をしたことで注意を受けていました。相撲は国技であり、土俵は神聖な場所であるなど、色々な制約が存在するので批判も受ける訳です。しかし、白鵬関が三本締めという行為をした際、喜んでやっていたファンもいるはずです。ただ、相撲界には相撲界のルールがある、そのルールに逆らうことはファンサービス、ファンを喜ばせる行為だとしても“お咎めあり”なんです。
それにしても、この問題で個人的に思うことですが、協会として事後処分が妥当であったのか?本当にダメなことであると言い切るのならば、優勝インタビューで白鵬関が「ご唱和下さい」と、発した瞬間に止めれば良かったのではないでしょうか? そこで白鵬関の行動を止める勇気は誰にもなかったように思えます。そう、組織とはこのようにズルい一面も持っているものです。確かに、白鵬関に非はあるでしょうけれども、個人を責めるだけでなく、それを許した組織も処分されるべきだと思ったのは私だけなのでしょうか!?
この一件はファンを喜ばせるためのファンサービスには、限界もあるということを考えさせられるものでもありました。

4月の大垣の開催も終わり、放送の最後に「平成最後の開催も無事に終わることができました」という言葉で締めくくられました。平成という時代も遂に幕を閉じるのかと、改めて思った瞬間。やはり、寂しい気持ちになってしまったものです。
さて、いよいよ松戸G1日本選手権競輪(ダービー)が開催されます。平成最後の特別競輪から令和最初の特別競輪へと、時代をまたいで開催される訳ですが、この開催の最終日を迎えた時は果たして、どのような心境になっているのか?これも楽しみの一つにしています。そして、この大会は“ストップ・ザ・脇本”で盛り上がることも非常に楽しみです。
大会が始まり、好不調の選手が見えてくるまではナショナルチームのメンバー対決で盛り上がると、現時点での予想にしておきます。
松戸の333mバンクでのビッグレースということもあり、スピード競輪になることは間違いなし。このゴールデンウィークはファンのみなさんも是非、本場で楽しんでいただきたいと思います。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2018年末、三谷竜生(奈良101期)に抜かれるまでは年間獲得最高賞金額=2億4,434万8,500円の記録を持っていた
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

ページの先頭へ

メニューを開く