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2019/06/12

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.49

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.49

5月31日に初日を迎えた節以降の開催において、新競技規則になり、レースの流れが大きく変わったように思えます。今はまだ選手も手探り状態のレースが続いていて、予想する側も様子見的な状態だと言えるでしょう。レース後の選手のコメントからも周回中の位置取りがさらに大切になってくることから、スタートを取るために車番は非常に大切なことが分かります。
現行の新ルールになるまでにも何度もルール変更はされてきた訳ですが、昔は誘導員を早期退避させて、外柵走行でバンクの幅をフルに使った走行が流行っていました。これは内外で急激な進路変更をするので、危険なレースが多くなるため、誘導員の早期退避を禁止するために誘導退避線が設けられました。その後にイエローラインという中バンク付近にラインが引かれて3秒程度、ラインよりも上へいくと失格になるというルールもできました。このルール下では外柵走行という作戦を使った走りが不可能になってくる訳で、誘導員退避線の意味はあるのだろうか?という疑問を持った選手も多かったことでしょう。 誘導員を早期退避させて、重注による違反点で罰則を受けるのは先行選手が大半な訳ですから。

スタートを取ってから前で受けると、一度、下げてからの巻き返しになります。逃げて持ち味が発揮できる選手、逃げなきゃ発揮できない選手はどうしても後ろから抑えて駆ける戦法を選択したくなる。そのような選手が多いレースはどうしてもスタートは牽制(けんせい)になってしまう。昔はスタートのやり直し、再発走をアピールする選手やレースが多かったです。これも再発走によるレース発走の遅延により、次のレースの発売時間が短くなるなどの理由で再発走させないようなルールが作られました。

私は現役時代、選手会執行部の方に「選手に対して、ルールによる縛り、縛りって、どうなんですか?お客様に喜んでいただけるような面白いレースができると思いますか?」という質問をぶつけたことがありました。さらに「スタート牽制による違反点をつけて縛るというより、前を取らなきゃいけないルールではダメなんでしょうか?今の競輪はそのレースにおいて最も点数が低い選手が6番車に入れられます。それだったら、最も点数持っている選手を1番車に入れて、スタートの牽制があった際は1番車の選手が受けて立つというルールではダメなんですか?」と、続けました。そして、私が尋ねたことに関する回答は「ギャンブルですから、特定の選手が不利になるようなルールにはできない」でした。
ですが……車番って、番組マン(番組編成)によって勝手に決められ、特定の選手が不利になる部分がある。それどころか位置取りに関しては圧倒的に内枠が有利なので、特定の選手に有利なルールになっているんじゃないのか? と、現役選手の訴えが届かない、力のなさを感じていたものです。
そして、今回、改正されたルールでのレース誘導のタイムが速いため(1周回=1秒)位置取り重視、枠番も重要、勝手に決められた車番で特定の選手に有利不利を与えているような気がしているのは私だけでしょうか?
世界のケイリン、世界ルールに近づけた競輪にしているようにも思えます。でも、世界のケイリンは誘導員退避線で、勝手に誘導員が退避するので、退避後のレースの組み立ての作戦を考えることが可能なのです。

ややネガティブなことを書き連ねてしまった感ではありますが、競輪選手はプロですから、必ず新ルールでの必勝パターンを見つけてきます。まだ探り、探りの状態でのレースが続いているところで、6月13日からは岸和田G1高松宮記念杯が開催されます。脇本雄太(福井94期)選手の“一強時代”と、言われている中で、新ルールはさらに脇本選手をサポートするものになるのではないでしょうか!?
5月の松戸G1日本選手権競輪の決勝戦メンバーは平均年齢20代になったことが話題になりましたけれども、高松宮記念杯もどうやら若手が軸となる戦いになりそうだというのが私の見解であります。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2018年末、三谷竜生(奈良101期)に抜かれるまでは年間獲得最高賞金額=2億4,434万8,500円の記録を持っていた
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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