TOP > コラム > 中国地区2選手、同時にSSの誕生なるか?

コラム

一覧へ戻る

コラム

2019/11/17

Norikazu Iwai

中国地区2選手、同時にSSの誕生なるか?

中国地区2選手、同時にSSの誕生なるか?

前回はガールズグランプリへの道、賞金争いを書いたが、今回は男子に目を向けて見ようと思う。しかし、ただの賞金争いを書いても面白くないだろうから、筆者がここズーッと、思っていた中国勢の躍進について触れてみたい。

一昔前、中国勢と言えば、本田晴美(岡山51期・引退)であった。
世界選手権(1987年=オーストリア・ウィーン)のケイリンで日本人として初めて金メダルを獲得するなど、注目を集めていた。だが、結局、競輪ではタイトルを獲れずに“無冠の帝王”とも呼ばれた。

そして、やっと三宅伸(岡山64期)が2008年12月の西武園G1・全日本選抜競輪でタイトルを獲得。ちなみにこの時の2着は石丸寛之(岡山76期)だった。

三宅に関して言えば、競輪学校(現・日本競輪選手養成所)では在校1位、卒業記念レースでは完全優勝と、圧倒的な強さを誇っていた。デビューが1989年8月で、39歳での悲願のタイトル奪取は遅すぎた春だったのかも知れない。ただ、これは選手生命が危ぶまれる程の大怪我を負ったことも時間を要した大きな理由である。

三宅の後、中国勢には失礼な言い方だが、本当に目立たなくなってしまった。そのような中、岩津裕介(岡山87期)が2014年末の岸和田・KEIRINグランプリ2014でS級S班の座を射止めた。以前は18人だったS班も2012年以降、現行の9人になって価値も高まった。岩津は2016年8月の松戸G1・オールスター競輪で優勝し、初タイトルを獲得。翌年もS班として活躍した。
岩津に続いたのが、2017年の桑原大志(山口80期)であった。京王閣G1・日本選手権競輪で好結果を残したことが功を奏し、その後もコンスタントに結果を残したこともあり、9番目ギリギリでS班に滑り込んだことは記憶に新しい。
岩津と桑原は決して派手ではない。三宅は言動もそうだったが、発信する力があった。しかし、岩津と桑原はどちらかと言うと、寡黙(かもく)のイメージがついて回る。岩津、桑原が立派だったのは競走において中国勢は決して良い位置を回れなかったという点であろう。それでも、コツコツと、勝ち星を重ねていった。裏を返せば、それだけ中国地区において、先行選手が育っていなかったとも言える。その状況下、岩津は我慢しながら、時には捲りを放つなど攻めの姿勢を見せていた。桑原の場合は3番手から脚を溜めての強襲劇というイメージだ。

そして、今年は清水裕友(山口105期)が初のトップ9入りを果たし、恐らくではあるが、来年もその地位を保てることが確定的になっている。また、もう1人、松浦悠士(広島98期)がS班に王手を懸けている。王手を懸けているという言い方が果たして正解かどうかは別にして、現在の松浦は賞金ランク9位。19日から始まる小倉G1・競輪祭で、本人がタイトル獲得をすれば文句なし。また、既にグランプリ出場の権利を獲得している選手、もしくは当確の選手が優勝(要するに松浦より賞金ランキングで上位選手)となればS班、グランプリ出場が決まる。

数年前まで松浦は目立つ選手ではなかった。それが昨年から力をつけ、この1年でG3制覇3度はお見事の一言だ。何より彼の良いところは自分自身でレースを組み立てられることであろう。清水や太田竜馬(徳島109期)などがいれば話しは別だが、基本は自力勝負である。これもまた、数年前では考えられなかったことだ。
松浦は先行選手の王道とは言い難いが、とにかく捲りは強烈なインパクトがある。この1年、松浦はそれを貫き通した。メンバーを見て、どうして先行選手につかずに自力勝負を選択したのか、首を捻ったこともあった。それでも、松浦は自分自身が納得するために、敢えて自力勝負が基本であるということに徹しているのであろう。

清水や松浦は……岩津や桑原とは一味も二味も違った選手である。それは筆者だけでなく、競輪ファンも重々に承知している。思うに岩津以降の中国勢は反骨精神が半端なかったのではないか?近畿や中部などに比べ、先行選手が手薄なだけに自らが生き残る術を考えた結果が今に繋がっていると、考えるのである。
清水と松浦の両選手がグランプリ出場、S級S班の座を手中に収めたとしたら、これは競輪界において画期的なことだ。結果はまだ分かっていないが、筆者の個人的な思いは中国地区から2人のS級S班誕生だ。

ページの先頭へ

メニューを開く