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2020/01/08

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.62

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.62

更新の関係で少し遅くなってしまいましたけれども、あけましておめでとうございます!
読者の皆様にはお健やかに、新しい年をお迎えのことと、お慶び申し上げます。

昨年は明仁上皇の譲位により『平成』という時代に別れを告げ、新しい時代『令和』を迎えました。現況の日本経済は好調を維持していると、言われていますが、消費増税などもあり、一般市民が好景気を実感できるには、まだ時間を要するかと。
その中で、競輪界の車券売上は微増を続けている現況。売上増加の要因はグレードレースが不調ながらも、モーニング開催やミッドナイト開催の拡充によるところが大きいです。しかし、この状況がいつまでも続くとは思えません。やはり、新規のお客様の拡大がなければ、売上の上昇は見込めないからです。社会は常に変化を続けており、私が言うまでもなく、多様化するレジャーに対応する力は必須になってきています。
今年の干支は『庚子』の年。命の息吹が芽生える年であり、新たなものが形作られていく年回り。そして、皆様もご承知のように十二支の巡り始めの年に当たりますので、競輪界にとっても最初の一歩として、新しい展開が生まれることを願うばかりです。

昨年末に立川競輪場で開催されたKEIRINグランプリ2019は__佐藤慎太郎(福島78期)選手が13年ぶりのグランプリ出場という最長ブランクでの初制覇を飾りました。
レースは打鐘からカマシ気味に先行態勢へ入った脇本雄太(福井94期)選手の後ろで、新田祐大(福島90期)選手が村上博幸(京都86期)選手のインで粘ります。で、新田選手が番手を奪い、脇本-新田-佐藤で、最終バックを通過。直線を向くと、佐藤選手が脇本、新田の間を割って鋭く伸び、逃げた脇本選手を4分の1車輪かわしたところがゴール。番手を取り切った新田選手は捲りにきた清水裕友(山口105期)選手が止まっていたので、冷静に対応できていれば、前を抜くだけだっただけに、もったいないレースでした。世界のケイリンではルール上、あそこで中を割られることはないでしょうから、日本の競輪の『技』を見せてくれた佐藤選手が本当に素晴らしかったです。

逃げて2着の脇本選手はナショナルチームの活動は室内での競走が多い中、寒さも強風も関係ない「インパクトのあるレース」を有言実行しました。東京五輪では金メダルを獲って、是非、KEIRINグランプリ2020に戻ってきて欲しいです。
3着に入った平原康多(埼玉87期)選手は最終バック8番手になり、直線ではコースを探しながら追い込んできて、上がりタイム10秒9はただ1人10秒台という鋭い伸び。この伸びは今年もまだまだやれるという自信になったと思います。

単騎の選手が3人もいた割には動きの少ないレースになったように思えますが、どこかで目立つ動きができた選手が必ず優勝するというのが大舞台です。その中で、43歳という最年長のベテラン・佐藤選手が冷静にレースを運び、前を任せた新田選手も最高の仕事をしてくれた結果だと言えます。
佐藤選手は今年1年、競輪界の顔として『1番車のグランプリチャンピオンユニホーム』で走る訳ですが、グランプリで見せた技の競輪、玄人好みのレースで盛り上げてくれることでしょう。

末筆になってしまいましたが。
今年も皆様のご健康とさらなる飛躍の年となるように、心からお祈りしております。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2018年末、三谷竜生(奈良101期)に抜かれるまでは年間獲得最高賞金額=2億4,434万8,500円の記録を持っていた
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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