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2020/01/20

Sakura Kimihara

恋して競輪ハンター

恋して競輪ハンター

恋して競輪ハンター 52 Hunting

2019年12月30日。1人の競輪選手が松戸競輪場を走っていました。
三ツ井勉(神奈川・45期)選手、御年64歳。当時、現役最高齢の競輪選手です。

2019年11月取手F2の2日目に、最高齢勝利記録(64歳1カ月13日)を更新。翌月の和歌山F2最終日には自身の記録をさらに更新(64歳2カ月3日)するなど、2019年後期は特に競輪ファンをワクワクさせてくれた三ツ井選手でした。しかし、いわゆる『3期目』。前2期で競走得点が70点に届かず、なおかつ3期平均の競走得点で下位30人に入ってしまうと、強制的に引退となる代謝制度の対象になっていました。諦めずレースに挑んでいたものの、前期までの点数を盛り返すことは厳しく、この松戸F2ナイターが最後の出走となりました。

その松戸と同日程で、昼夜の違いはありますが、立川競輪場ではKEIRINグランプリ2019が行われていました。それにも関わらず、松戸競輪にも多くのファンが集結。決して比べられるものではありませんが、グランプリとほぼ同時刻から始まった選手紹介から三ツ井選手への声援はグランプリに負けず劣らず、ファンの愛に満ちた熱いものだったと思います。また、普段の競輪場で、選手に送られる声は、たとえ声援であっても呼び捨てであることが多い気がしますが、三ツ井選手の名を呼ぶ多くは「三ツ井さーん!」と、敬称がついていました。松戸競輪にいた多くのファンが敬意を持って声援を送っていた証です。

初日予選は5着。ラインを組んでいた桜井大地(静岡111期)選手が苦しい展開になると、シビアに切り替えて前を追いましたが、車間は詰まらずに予選敗退。

2日目はその桜井選手と再び連携。後ろを同地区の後輩たち……それでも、46歳の木村讓(神奈川76期)選手と51歳の野井正紀(神奈川63期)選手というベテランレーサーたちですが)が固めた南関東4車ライン。
桜井選手は前受けから三ツ井選手を連れての突っ張り先行。三ツ井選手は一瞬、口が開きかけたようにも見えましたが、しっかりマークし、最後の直線で追いこんでの1着。自身の持つ最高齢勝利記録を64歳2カ月19日まで再び更新しました。
最終日は菅原洋輔(岩手98期)選手の先行にマーク。捲りラインを懸命にブロックし、捲られてはしまいましたが、切り替えて、自ら追い込んで3着。レース後は声援を送っていたファンに応えるような仕草で、バンクを後にしました。

この3日間のレースに、競輪ファンならばたくさんのドラマを想像したに違いありません。また、自分の現在・過去・未来に置き換えた人もいるのではないでしょうか。
私自身も三ツ井選手の走りを見て、64歳まで自分を信じて、一つのことをやり続けることができるのか?と、思ったものです。その時、どれだけの人が周りにいて、自分を支えてくれるのだろうか?これほどまでに暖かい声援を受けながら、最後を迎えることができるのだろうか?また、前を回る若い選手の先行に、3番手、4番手を走った選手の動きに、別線の選手や単騎の選手が何を思い走っていたのか?同じレースを走った他の6選手にも様々な思いがあったであろうことを想像しました。全員が1着を獲るために走るとか、事実はどうだったとか、そういうことは置いておいて、このレースからたくさんのドラマが連想され、また、それが胸を熱くさせるものであること。私が競輪を愛して止まない理由がここにあると思いました。

金網の向こう側にはたくさんの物語があります。選手それぞれの物語はもちろんですが、金網と自分というフィルターを通せば同じレースであっても、自分だけの琴線に触れるような心を揺さぶられるドラマを見ることができるのでしょう。

ラストランはいつだって切なく悲しいものですが、最後の最後までファンの胸を打つ走り=ドラマを見せてくれた三ツ井選手に心から「ありがとう」と、拍手を送りました。

【略歴】

木三原さくら(きみはら・さくら)

1989年3月28日生 岐阜県出身

2013年夏に松戸競輪場で
ニコニコ生放送チャリチャンのアシスタントとして競輪デビュー
以降、松戸競輪や平塚競輪のF1、F2を中心に
競輪を自腹購入しながら学んでいく
番組内では「競輪狂」と、呼ばれることもあるほど競輪にドはまり
好きな選手のタイプは徹底先行
好きな買い方は初手から展開を考えて、1着固定のフォーメーション
“おいしいワイド”を探すことも楽しみにしている

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