TOP > コラム > “帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.67

コラム

一覧へ戻る

コラム

2020/03/24

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.67

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.67

コロナ、コロナ、コロナ……。
毎日、この言葉を聞いていますが、一体いつまで続くのでしょうか?
自粛に次ぐ自粛で、健康な人間までもが精神的に参ってしまうと、感じている人が多いことでしょう。新型コロナウイルスの感染拡大が続けば、景気が悪くなると、言われていましたが、実際に倒産する企業も出てきています。
私は現役時代に飲食店を開業して、従業員やお客様のおかげで、莫大な初期投資も回収でき、利益を上げられる店へと、成長させることができました。本当に人との出会いに恵まれていることを実感、関係してくれた方々には感謝しかありません。ですが、私の考えは「良い時はいつまでも続かない」なのです。こう思っていますので、店の売り上げが良い時に店の権利を売りました。これが後に私にとっては正解となってしまいました。

今の新型コロナウイルス感染防止のために学校は休校になり、卒業式までが中止になっています。世間では感染拡大に比例するように自粛ムードまでが拡大して、飲食店の売り上げは減少傾向。私が作った飲食店も平日は主婦層のランチで賑わい、土日は旅行バスが立ち寄ったり、各種お祝いの席や団体客がメインでの営業店でした。そんな店はこの時期、予約キャンセルのオンパレード。売り上げのない店を維持していくのは相当、大変だという話しを現オーナーからも伺いました。今、まだ経営者だったら、私の財力では閉店するしかなかったかも知れません。感染拡大を止め、景気回復のために世界中が努力しなくてはいけない大変な時代を迎え、各国トップの手腕が試されているのではないでしょうか。

私は関わる方々に恵まれているという話しに触れましたが、競輪には『ライン』という言葉があります。ラインに恵まれるかどうかは競走成績にかなり左右されるのが競輪です。
3月18日に最終日を迎えた大垣F1もラインの力がかなり影響したと思われるレースがあったので紹介したいと思います。
まずはA級決勝です。2日間の勝ち上がり方、調子を観ているだけだと、岩谷拓磨(福岡115期)選手の優勝だと、予想してしまうくらいに連日の動きが良かったです。しかし、中部の選手が5人も決勝に進出してきて、5者ラインを組んでのレースを選択。中部の選手がそれぞれ別れて戦うことも可能なメンバー構成でしたが、ラインを組んで走るということは5番手を回る萩原操(三重51期)選手には優勝の可能性が限りなく低くなるということです。これだけで“中部の中から優勝者を出す”という相当の決意でのライン構成だということが分かります。
レースは山崎晃(石川95期)選手の先行を番手捲りした吉川起也(富山92期)選手を差した地元の大洞翔平(岐阜100)選手が優勝。2着には4番手を固めた三浦稔希(愛知76期)選手が入り、吉川選手も3着に粘ったことで見事に中部勢での上位独占に成功しました。
そして、S級決勝ではA級決勝とは逆に、競走得点最上位で優勝候補の山崎芳仁(福島88期)選手が勝ち上がりの動きが良かった坂本周作(青森105期)選手の番手回り。勝ち上がりの動きが良かった荻原尚人(宮城89期)選手も北日本ラインの4番手を固めたことで、各ラインの先頭である横山尚則(茨城100期)選手や松岡健介(兵庫87期)が苦しめられる展開になります。レースでは先行した坂本選手の番手から捲った山崎選手を、3番手の永澤剛(青森91期)選手が差し切って優勝を果たしました。
この日、優勝した両者は、仲間たち=ラインに恵まれていると、思ったことでしょう。

このようにラインの力がかなり影響したと思われるレースが同日のA級とS級の決勝戦で観られました。これが競輪であり、ケイリンとは違う、ある意味では人間味があるレースです。けれども、この競輪をケイリンに近づけようと、ルールは少しずつ変わっていっています。競輪を止め、ケイリンに変えたいのであれば、誘導退避のラインや1着選手がゴールしてからのタイム差などのルールを厳しくするよりは、ライン自体をなくすことが正解だと思います。ただ、それがお客様あっての競輪、お客様が求めている競輪なのかをジックリ検証していく必要があると思いますが……。

今月は福井競輪場でG2ウィナーズカップが開催されます。昨年の大会を圧倒的な強さで優勝した脇本雄太(福井94期)選手が地元開催というのに不参加なのは非常に残念ですが、今開催もS級S班の選手たちを中心に、きっと盛り上げてくれることでしょう。
無観客開催ではありますけれども、テレビやネットでの視聴。そして、電話投票やネット投票で是非、みなさんもストレス解消に、競輪を楽しんでいただければと、願っております。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2018年末、三谷竜生(奈良101期)に抜かれるまでは年間獲得最高賞金額=2億4,434万8,500円の記録を持っていた
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

ページの先頭へ

メニューを開く