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2020/04/01

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.68

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.68

ビッグレース初の無観客レース、福井競輪場で開催された第4回G2ウィナーズカップは中国地区のゴールデンコンビである松浦悠士(広島98期)選手が清水裕友(山口105期)選手の逃げに乗って優勝!という結果で無事に幕を閉じました。
私は開催前に「S級S班の選手が中心となって盛り上げてくれる」と、書きましたが、まさにS級S班の選手がレースを支配した内容になりましたね。

優勝した松浦選手の勝ち上がりを振り返ってみます。
初日特選は太田竜馬(徳島109期)選手の番手でのレースでした。野口裕史(千葉111期)選手の先行で、太田選手は6番手になり、さらに野口選手の番手から岩本俊介(千葉94期)選手が番手捲りをするという後方の選手には苦しい展開に。結局、松浦選手は6着のゴール。このレースを観て、この福井バンクでは最終バックを後方で通過すると、勝利することが難しくなることがイメージできたのではないでしょうか。
2日目の二次予選は宮本隼輔(山口113期)選手の番手で、打鐘から先行した宮本選手を差してワンツーゴール。

3日目の準決勝は1度、押さえて前に出て、先行する松井宏佑(神奈川113期)選手の番手でイン粘りして、競り勝ったうえ、差し脚を伸ばして1着で決勝進出を決めました。初日の敗戦を教訓に、前々勝負に徹した結果だったように思えます。

決勝戦では清水選手の番手を回れた時点で、これまでの2人の関係からも優勝に最も近い位置であったとも言えます。
昨年末のG1競輪祭では清水選手が先行して、番手から松浦選手が差してG1初優勝。そして、今年2月のG1全日本選抜競輪では松浦選手の先行の番手から清水選手が捲ってG1初優勝を決めました。既にKEIRINグランプリ2020の出場権を獲得している清水選手が前を回っているのですから、番手の松浦選手が優勝したことはそれ程にまで驚く結果ではなかったと。まだまだこのコンビの勢いは続いていくと思う内容でしたし、これが漢字で表記される『競輪』なのだと、思うレースでした。

驚いたと言えば……ビッグレース初参加で、初優出してきた高橋晋也(福島115期)選手のレース内容も見せ場タップリ。高橋選手が先行勝負して、清水選手を苦しめるというレース展開を予想した方も多かったでしょうが、実際のレースでは高橋選手は捲りに回り、優勝した松浦選手を苦しめる展開になりました。本線の松浦選手から車券を買っているファンの方、穴狙いで北日本ラインから車券を買っているファンの方、どちらのファンの方にもハラハラするレースだったに違いありません。
対して、単騎での戦いになった4選手は非常に残念なレース内容でした。特に中四国ラインで最後まで並びに悩んで、別線勝負を選択した原田研太朗(徳島98期)選手は周回中から9番手で1度も動くことなく、最後まで後方のまま終わってしまいました。清水選手と高橋選手の先行争いに対して、単騎一発の捲りが決まると、予想した穴狙いのファンにしてみれば、どこにいたのか分からなかったレースではガッカリしたでしょう。優勝した選手は立派ですし、勝負は勝った選手を褒めるべきであります。けれども、各々の選手がやるべきことをやって、力を出し切ったというレースをファンに観せることで、応援した選手が勝っても、負けても、レース結果に満足していただけることになります。そして、それがファンの継続や拡大へと繋がっていくということをこんな時代だからこそ忘れてはいけません。

今節も選手の不注意による落車がありました。また、競技規則を守ることと、勝つためのレース運び、どうしようもなくギリギリの戦いの中で、落車に繋がるレースもありました。 ただ、このような落車はファンの信頼を損ねる大きな原因になります。早急に対応するということが必要ではないでしょうか。

ウィナーズカップ決勝同日、中央競馬ではG1高松宮記念が無観客で開催されていました。中央競馬も売り上げはファンあってのものなので、ファンを大切にすることは当然ですけれども、馬主がいなければ、馬が集まらないので……“馬主様様”的な扱いを受けています。しかし、今回はその馬主でも出入り禁止、G1での優勝でも表彰式はなし、取材エリアも規制されるなど、厳しい態勢の中での開催となりました。
一方の競輪は業者の出入りもある程度は自由で、選手との接触も可能。そんな中での開催であった訳ですが、新聞記事によると新型コロナウイルス対策によるネット・電話投票限定のため売り上げは前年比37%に留まったと、記されていました。同じ条件での開催で、中央競馬では前年比106.3%の微増。これが今の競輪界の状況だということを全ての人に感じて欲しいです。それだけ厳しい結果が出たと、真摯(しんし)に受け止める現実だったのですから。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2018年末、三谷竜生(奈良101期)に抜かれるまでは年間獲得最高賞金額=2億4,434万8,500円の記録を持っていた
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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