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2020/06/26

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.71

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.71

和歌山競輪場で初開催されたG1第71回高松宮記念杯競輪。コロナ禍に見舞われて、無観客での開催でしたが、さすが東京五輪代表!脇本雄太(福井94期)選手が23年ぶりの高松宮記念杯完全優勝という結果で幕を閉じました。
この脇本選手の4日間を振り返ってみたいと、思います。

初日は西日本特選。今、競輪界最強タッグと言われている、松浦悠士(広島98期)選手と清水裕友(山口105期)選手のコンビを相手にどのような戦いをするのか?私自身も非常に興味を持ってレースを観ていました。前で受けた脇本選手は九州ラインが抑えにくると、7番手までサッと、下げます。打鐘から清水選手が先行して、番手は松浦選手。7番手から巻き返しに出た脇本選手は雨でバランスを崩した(スリップ)こともありますが、一旦は4番手に入って態勢を立て直すと、最終BSで番手捲りに出た松浦選手を捕える捲りを決めて、見事に1着でゴール。この日は“雨の宮杯”の言葉通り、朝から雨の中でのレースでした。もしも晴れで、脇本選手がカマシに行った時に滑らなかったら、どうなっていたのでしょうか?あの脇本選手の早い巻き返しに対して、松浦選手はどう対応したのかも観てみたかったレースでした。
清水選手と松浦選手の勝ちパターンで、番手捲りした松浦選手を3着に沈めた脇本選手のレースを観て、強さは一つ抜けていると、誰もが思ったことでしょう。

2日目は白虎賞です。このレースは全員が準決勝に進出できるレースのため(失格などを除く)、誰が脇本選手を苦しめるレースをするのか?そこに興味を持っていました。脇本選手は周回中、7番手で動くこともなく、打鐘からカマシて先行すると、そのまま押し切って連勝ゴール。捲りの選手の番手が離れて、大差をつけるシーンはよく観ることがありますけれども。先行している選手の番手が離れて、ゴール前で接戦にならないレースを観せられると、改めて脇本選手の強さが頭一つ抜けていることを実感しました。

3日目は西日本準決勝。対戦相手の自力選手がどちらかと言えば捲りが得意なタイプで、脇本選手のほぼ先行1車のような番組でした。打鐘からカマシて先行すると、自分のラインで上位独占。ここでは同じラインを組んだ選手のことを考えて、イン粘りをされないような気遣いをした走りでした。G1の準決勝だと言うのに、ラインを気遣う走りができるということは余裕のある証拠です。

最終日の決勝。脇本選手はいつも通りの7番手から打鐘でカマシて先行策に出ます。1度は8番手になりかけた松浦選手が最終HSから捲り上げていきましたが、2番手までが精一杯でした。前日の松浦選手の意味深なコメント(脇本さんに勝つ秘策がある)により何をしてくるのか?予想する楽しみが増えただけでなく、レースでも見せ場タップリ。決勝に相応しいレースとなったことで優勝した脇本選手の強さも引き立ったのではないでしょうか。ただ、個人的にはもう1人の東京五輪代表者の見せ場がなかったのが、少し残念なレース内容ではありました。

脇本選手の走りはワンパターンのように打鐘からカマシていく先行ですが、前半から10秒台のハイペースで、しかもレースの上がりタイムが今回の決勝戦でも11秒3です。捲りで勝てるとしたら、一体、何秒を出せば決まるのでしょう?

私が現役の時はそれ程まで五輪に興味はありませんでしたが、「世界で通用する脚力をつければ、日本の競輪では負けない選手になる」と、思って、ナショナルチームの活動に参加していました。今の選手たちはグランプリに出場する。そして、優勝して日本一になることを目指し、日々の練習を頑張っています。けれども、脇本選手は「世界一になる」ために頑張っているということです。日本の競輪場は世界の競技場とは違い、屋外が多く、風が敵になることもあります。周長も250mバンクではなく、ゴール前の直線が長いこともあり、勝ち続けることは難しいのかも知れませんが、しばらくの間は“脇本一強時代”が続くのではないでしょうか。

今回のG1は無観客での開催でしたが、電話・インターネット投票だけではなく、各地の場外車券売場、サテライトでの発売もあり、売り上げは70億円を超えました。前年の岸和田での高松宮記念杯の売り上げが84億円だったことを考えれば、関係者にとっては喜ばしい結果だったことでしょう。ですが、ビッグレースの売り上げが伸び悩んでいるのは現実。今後も『関係者全員』で売り上げを増やしていけるように頑張っていただきたいものです。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2018年末、三谷竜生(奈良101期)に抜かれるまでは年間獲得最高賞金額=2億4,434万8,500円の記録を持っていた
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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