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2020/08/20

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.75

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.75

熱闘のG1オールスター競輪が無事に終了しました。
名古屋の気温は39℃ということだったので、まさに熱との戦いでもあったかと思います。

そのような中、名古屋で開催されるビッグレースでは恒例になった『KEIRINレジェンドエキシビジョン』が準決勝の日に行われました。私は全開でモガキましたが、VTRで観たら__スロー映像でも観ているのか!?というくらい遅くてビックリ。やはり、プロの選手が走るスピードと迫力は凄いです。ファンの皆様には競輪は是非、生で観戦していただきたいと、改めて思った次第です。

私にとって、名古屋で開催されたG1日本選手権競輪が選手生活最後のレースでした。このレジェンドレースも名古屋で最後の出走だと思っていましたし、一緒に走ったメンバーも同年代で現役時代のライバルたち。とても懐かしく、色々と、思い出すこともあり、本当に楽しめました。このレースに参加するにあたり、引退してから運動とは無縁だった私は心拍数を上げる機会が全くありませんでした。レース後の息苦しさを想像すると恐ろしく、焦って、約1ヶ月、毎日のように運動。その甲斐あり、レース後も苦しくなく、ダイエット効果もあり、少し痩せることもできました。この機会をいただいて感謝しておりますが、運動を継続していく強い気持ちがないので、来月にはリバウンドして、太っているのではないでしょうか(笑)。 

そして、裏話をもう一つ。この企画のオファーをいただいてから少し経った時に「この話しはなかったことにして下さい」と、取り消しの電話がありました。コロナ禍で仕事がなくなったことが何度もあったので、個人的に、それ程まで驚く話しではなかったのですが……。
しかし、その連絡から数日後、他に協力してくれる人がいなかったのかどうかは定かではありませんが、愛知の前支部長・一丸安貴(愛知70期)選手とヤマコウ(山口幸二)が「この企画に協力してくれ」と、お願いしてきたのです。私は絶対にNOと、答える性格だし、内心では嫌だと、思っていましたが……この2人のお願いを断われるはずがない。こんな流れがあり、出走することになったのです。

この不可思議な一連の流れについてはある関係者の情報もあり、薄っすらながらも輪郭が見えてきたところがあります。
以前、コラムに書いたことがあるかも知れませんけれども、私は現役時代の開催参加中に、とても辛く、苦い経験をしているのです。第三者からは家庭の事情という一言で済んでしまうのでしょうが、その事案は私としては優先すべきは競争よりも家庭でした。であったにも関わらず、当時の私が開催の看板選手だったがゆえに途中欠場されると、売り上げに影響が出てしまうという理由で、家族からの連絡を開催終了まで聞かされなかった__。
「ご家族に辛い思いをさせて申し訳なかった」の謝罪もなし、せめてもの「売り上げに協力して貰い、ありがとうございました」の一言もない。競輪選手は“博打の駒”ではありますが、サイコロとは違って、命や感情のあるもの。この一件があって、私が不信感を抱き、その後、協力的な態度を取れなくなってしまった。その経緯を知る一部関係者は私を使いたがらなかった……そんなところだったのかなと。

さて、肝心な大会はダントツの人気を誇った脇本雄太(福井94期)選手を撃破して、松浦悠士(広島98期)選手が優勝しました。
脇本選手は初日のドリームレースを制し、準決勝ではバンクレコードタイの10秒4をマーク。調子も良く見え、圧倒的な一番人気に推されていました。レースでは原田研太朗(徳島98期)選手が打鐘前から先行、そこをすかさず巻き返していきましたが、原田選手の番手から捲りに出た松浦選手とのモガキ合いに敗れての2着。ラインの力で勝利した松浦選手、タテ脚勝負で敗れた脇本選手。これが『競輪』だというレース結果であったように思えます。
優勝した松浦選手のレース後のコメントでは「今回はラインの力で勝てたけど、これが自分の力だけだったらどうだろうか?それが課題になってくる。個人の力でも勝てるように頑張りたい」と、さらに進化を求めています。今後も『競輪』の松浦選手と『ケイリン』の脇本選手との対決は競輪界を盛り上げていき、名勝負を歴史に刻み込んでくれそうです。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2018年末、三谷竜生(奈良101期)に抜かれるまでは年間獲得最高賞金額=2億4,434万8,500円の記録を持っていた
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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