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2018/03/16

Go Otani

エッセイ「競輪場の在った街」番外編〜長崎

エッセイ「競輪場の在った街」番外編〜長崎

その街に住んだわけでもない。親戚がいるわけでもない。学校があって毎日、通ったわけでもない。
本来ならば何のゆかりもない土地なのに、なぜかよく足を運ぶようになった。しかも自分から望んでいくわけでなく、不可抗力で、ということがほとんど。それでも、馴染みの街になることがある。縁があるとでも言うべきか。私にとっては、長崎と会津若松がそれだ。そして、奇遇にも、どちらの街にも過去、競輪場が在った__。

長崎は、大学時代の親友の出身地である。大学卒業後は、私が東京に出て、親友は関西に残った。そいつはもともと文系の学部だったくせに「どうしても建築家になりたい」と、4年生の時にいきなり言い出して、別の大学の建築学科の編入試験を受けて合格した。たまに私が大阪に戻った時に会うと、必ず「お前が最初に設計する家は大谷邸だ」という冗談(私の名前が「大谷」です)を言っていた。会えない時もメールで「こんな家がいい」と、リクエストを送ったものだ。そいつは大学の教授にも目をかけられ、そこそこ有名な建築事務所に就職、頑張っているようだった。

突然の訃報が舞い込んだ。ある朝、そいつが事務所に出社せず、同僚が部屋を訪ねたところ、ひっそりと息を引き取っていたらしい……享年26歳。
身内だけの葬儀の後に、ご両親から連絡をもらった。すぐに長崎行きの飛行機のチケットを取り、仏壇に手を合わせにいった。
亡くなった前日、そいつが初めて設計を請け負った物件(個人宅)の引き渡し日だったとのこと。ホッと、した矢先に天に召されたのか?まだまだこれからだというのに。
ご両親がおそるおそる、私に尋ねてきた。「最近、ご自宅を建てられたということはないですよね?」
「いや、建てていませんが、なぜですか?」
「そうですか……ということは偶然なんですね……」
聞くと、そいつが最初に手掛けた物件の依頼主は私と同じ苗字の家だったとのこと。ご両親は私とそいつのメールのやり取りを読んで「もしかして……」と、思ったようだ。つまり、そいつが最初に設計した家が大谷邸だったことに間違いはなかったのだ。
「約束は守ったよ」
静かな仏間にそいつの声が聞こえた気がした。

その後、私が勤めていた会社の第二本社が長崎にでき、1年に何度かは出張で行くようになった。そのたびに、そいつとの思い出が浮かぶ。長崎とは何のつながりもなかったのに、私にとっては特別に馴染みのある街になった。

ある時、長崎出張の用事が午前中に終わってしまい、夕方の飛行機までの時間が空いてしまった。どう時間を潰そうかと思い、スーパー銭湯でも行こうと思いたち、地元の方に教えてもらった。長崎駅前から路面電車に乗り、「大橋」という駅で降りたところにあるとのこと。実際にその駅で降りてみると、目の前に野球場があった。ついついの興味でふらりとスタンドに入ってみる。季節は秋だったと記憶しているが、少年野球の試合が行われていた。土曜日だったこともあり、少年の母親たちの甲高い応援の声と、少年の父親たちの指導の声が混じりあい、平和な情景が構築されていた。
まったく馴染みのない土地の、まったく関わりのない人たち。なのに、この平和な空間は共有できている。その思いに引き留められ、しばらくの間、その場所を離れることができなかった。
昔、この野球場の隣に競輪場があったことは、その時点で知る由もなかったが、これも何かの縁だったのかもしれない。

Text・Photo/Go Otani

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