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2019/10/04

Go Otani

エッセイ「競輪場の在る街」Vol.10〜静岡

エッセイ「競輪場の在る街」Vol.10〜静岡

東海道新幹線に乗って東京へ向かう。山側の窓側席にて、壁にもたれながら左手で頬杖をつく。左手にはめた腕時計が秒を打つ音が聞こえてきて、嫌でも「一秒」という時間の「長さ」が意識される。
手前で飛び去っていく近距離の景色群は『一瞬』しか目に入ることはないけれど、秒針の音に意識を合わせることで、その『一瞬』に時間の経過が存在することがよく分かる。一秒は思ったより長い。
その眺めている景色に富士山が現れる。もちろん富士山は一瞬では飛び去らない。いつまでいるのか。いつまでもそこにいて、こちらをじっと、見つめているようにも感じられる。それがこちらに不安をかきたてる。カチ、カチ、カチと、秒針が時間を打つ。富士山はそこにずっと留まる。その一瞬が無限に積み重なり、永遠に化けてしまったかのような時間の中で、少し現実に還って、もう静岡を過ぎたのだと、意識する。そして、一つの小さなエピソードを思い出す。
今回は『競輪場の在る街』ではなく、『競輪場の在る山』の趣きで__。

もう10年以上前になるだろうか、私は仲間と共に、南アルプスへの登山道の入口である広河原に立っていた。富士山はともかく、槍ヶ岳や穂高岳ほども知られていない日本第2の高峰、北岳へ登るためだった。北岳は高村薫氏の長編小説である『マークスの山』において重要な場所として表現されている。私は登山を始めるずっと前にその小説を読み、そこがどういった場所なのか、いつかは行ってみたいと思っていた。趣味で登山を始めた後も南アルプスという、アプローチに苦労も多く、また、高峰であるため手軽にはチャレンジできないような山岳エリアであったため、しばらく足は向かなかった。しかし、多くの山に登頂し、多くの尾根を踏破し、準備も整え、満を持して北岳へのチャレンジをすることになった。
登山は苦しいものであるが、思い入れのある山に登るという充実感からも足取り軽く北岳への登山道を踏み出した。

登山中の苦労を一つ、一つを書いていくことはしないが、ようやく北岳の山頂を踏み、頂上直下にある山小屋で一晩を過ごすことになった。
翌朝まだ暗い中、早くに起き出し、隣のこれもまたあまり知られていない日本第3の高峰、間ノ岳への縦走に出発した。しばらくすると夜が明けてきて、空気全体が薄いオレンジ色に染まり始める。頭上に雲海の底が果てしなく広がり、オレンジ色の蓋をしている。眼下の底には、まだ光が差し切れていない暗闇が沈み、その蓋と底の間に頭を出す富士山が見えた。振り返ると、まだ光が届いていない北岳の影が見える。

足取りがどんどん軽くなってきたのは、ピストン縦走ということで山小屋に不要な荷物を置いてきた身軽さだけではないだろう。このような時間に、このような場所を歩けるという特別感が体をどんどんと軽くしていく。
そうして、間ノ岳に到着し、山頂を示す表示に近づいて、本当に驚いた。そこは『静岡市葵区』だったのだ。

それは私が静岡市に自分の足で立った最初だったと思う。それまで新幹線や車などで幾度となく通り過ぎてきた静岡市。その静岡市に降り立った最初は間ノ岳の山頂であった。目の前に広がる雄大な自然、そして、景色。その目の前の現実と、この場所が『静岡市葵区』という行政区の一部であるという認識のギャップが私に、北岳に登頂したという事実以上の印象を、下山後も、そして、10年以上経った現在も残したままなのだ。

Text・Photo/Go Otani

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