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競輪

2017/05/31

Joe Shimajiri

競輪ドキュメント第1回/石井貴子(千葉106期)

競輪ドキュメント第1回/石井貴子(千葉106期)

落ち着いて臨めた高松ガールズコレクション

ガールズコレクションは普段の開催レースとは異なり、男子選手と前検日から一緒に入る訳ではない。石井の言葉を借りるならば、グレードの高いレースに途中からポンッと入るのは一種、異様な雰囲気……そこでいつもと同じようなテンションを維持するのは想像以上に難しい。しかし、そこで力をシッカリ出すために約1日半を過ごすことに最近になって慣れてきた。
「知っている男子選手も増えてきたし、少し話したりすることも出来るようになったのでやりやすくなった。4年経って、ようやくという感じですけれども」
そして、肝心な出走メンバーを見ての感想は客観的と言うか、石井を表すキーワードでもある“淡々”としたものであった。
「ガールズコレクションに出る選手は昨年の競走得点上位者なので、半年間の流れがあってのレース。勝ちたいと思って勝てたら誰も苦労しない。1/7以上でも以下でもない確率、力んでどうこうなる問題じゃないなっていうのが正直な印象でした」
落ち着いてレースに臨めたのはこのような考え方に加えて、風邪や花粉症で悩まされずに体調面で微塵の不安もなし。さらに年明けからコンスタントにレースに出ていたことで、勝ち負けを度外視した中で自分の力量を把握出来ていた。
「車番が外枠の6番だったので……前を取ろうと思えば取れたとは思うんですけれども、無理することない、初手は6番手でいいやって。他の前を取りたがる選手と取り合っても仕方ないし」
児玉碧衣・高木真備・奥井迪の3選手が熾烈な先行争いをする中、石井は最後方で“淡々”と勝機を伺っていた。
「いつもシュミレーションは何パターンか用意しています。切るカードをいくつか持っている、ここでは何を切って行くかという感じ。いつも同じカードを切っていては勝てないですし」
石井の脳内にあった切るべきカードは思考する前に身体が自然と反応したことでセレクトされた。打鐘から飛び出した1番車・児玉をマークしての追走。最終第4コーナーでも粘り、最後のゴールライン前で児玉を差し切る。自身2度目のガールズコレクション制覇は悔しい想いだけしか残らなかった2016年シーズンを一掃するに等しいものとなった。

“淡々”と進化へのプロセス 石井貴子(千葉106期)

進化へのプロセス

「大学時代から半分日誌、半分日記みたいなものを簡単に手帳に書き留めるみたいな習慣はありました。でも、本当に必要だって迫られるまではクオリティーが低かった。競輪学校に入って……これから競輪選手になってレースがある、遠征がある。自分自身を管理しないとならないってことで、一気にメモのクオリティーは上がったと思います」
石井はクレーバーゆえか思考が止まらないことが多々あるようだ。そこで整理して書くことで「もう考えるのやめっ!」と、気持ちを切り替える手段にしている側面もある。ただ、気持ちの切り替えだけに留まらず、改めてレース前などに読み返すことで客観的に“淡々”と作戦を練る自作のバイブルにもなっている。

好調を維持したまま迎えた5月4日の京王閣でのガールズコレクション、石井は連覇の期待も大きく、車券も人気の中心であったが……。
「高松のガールズコレクションを踏まえて、奥井さんが今回は先行にこだわって来るだろうと読んでいましたが、(読みが)外れて包まれる展開になってしまった」
と、無念の5着という結果に終わる。
きっとレース後、しばらくの間は頭の中で様々な思考がグルグル回っていたに違いないが、石井はいつものように“淡々”とレース後に綿密なメモを書き留めたはずだ。それが反省材料となり、今後の大きな糧になる。年末にはガールズグランプリ(平塚競輪場)を制するという目標も___そう、今、石井は良い意味で“淡々”と進化へのプロセスを現在進行系で辿っているのだから。

Text & Photo/Perfecta Navi・Joe Shimajiri

石井貴子(いしい・たかこ)

石井貴子(いしい・たかこ)

1990年2月17日生 岐阜県出身 千葉106期
美濃加茂高−早稲田大
両親の影響を受けて幼少時からスキー競技に励む
全国高等学校選抜スキー大会では大回転で2位となる
早稲田大でも競技を続けるが、大きな実績を残すことは出来なかった
大学卒業後はスキー競技を離れて都内に勤めるOLとなったが、電車の中吊り広告で目にした「ガールズケイリン選手募集」という中吊りで競輪選手になることを決意
2013年5月に競輪学校に入校
この時から競輪競争の訓練だけではなく、オリンピック種目でもあるチームスプリントも勧められる
2014年5月、西武園競輪場でデビュー

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