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競輪

2018/04/04

Joe Shimajiri

疾風のサイドストーリー/大石崇晴(京都109期)

疾風のサイドストーリー/大石崇晴(京都109期)

5th オーバー・ザ・トップ

「頑張れよぉー!!」
「シッカリ逃げるんやでぇー!!」
競輪ファンから大石崇晴に送られる声援の後には、間違いなく90%以上の確率で“息子” or “ジュニア”という呼称が加えられる。そう、父は元プロ野球選手、猛牛戦士の切り込み隊長・大石大二郎だ。
このコーナーで筆を進めていくうちに、筆者は思いっ切り「野球寄り」ということは既にバレバレであると思うのだが……無謀にもプロ野球の世界へ憧れを抱いていた時代には、当時、活躍していた大二郎モデルのグラブをスペシャルオーダーしたこともあった。と、大二郎にまつわる話しを書き始めたらキリがないので割愛しよう。

実は崇晴のことは一方的に、高校時代(報徳学園)から知っている。というのも筆者がアマチュア野球の仕事をメインにしていた時期で、何よりも自宅と報徳が余裕の徒歩圏内。西宮から宝塚までを南北に貫く山手幹線を突っ切るだけ。散歩がてら立ち寄れる報徳は有望選手の取材以外(練習試合)でも気軽かつ頻繁に足を運べたし、野球部前監督の永田裕治さんから父兄会主催のBBQに誘っていただいたこともあった。
また、余談ながら筆者の母校(大学野球部)には、ほぼ毎年、報徳から選手が入部してくる。ただ、甲子園出場メンバー(夏・選手権大会)でもある崇晴は他大学へ進学(後に中途退学)、筆者も野球の取材から離れたので、交わる線はなくなったはずだった。

しかし、その後も崇晴の動向を気にすることがなくても、ある程度の情報は入ってきた。四国アイランドリーグplus・高知ファイティングドッグスでプレーした約2年、日本競輪学校入学・卒業も然り、晴れて競輪選手としてデビューしたことも。これらはさすがに特大記事とまではいかないが、スポーツ紙の記事の中でも埋もれることがないベタ記事以上のものであった。ネットニュースならば必ずと言っていい程、写真付きという扱いの良さ。これは有名人を父に持つ崇晴の特権でもある反面、不遇な部分とも言える。冒頭の競輪ファンの声援も同様。このように筆者がピックアップすることも、もしかしたら崇晴にとっては喜ばしいことではないのかも知れない__。

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