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競輪

2018/08/03

Joe Shimajiri

競輪ドキュメント第5回/堀内俊介(神奈川107期)

競輪ドキュメント第5回/堀内俊介(神奈川107期)

競輪学校へ

まずは体力、及び自転車に乗るスキルを取り戻すために、母校・中央大の合宿に参加。それから約1ヶ月、オーストラリアにホームステイして、ロードレースの選手と共に自転車に乗り込んだ後に川崎競輪場の愛好会で練習。
「競技(ポイントレース)でカーボンには乗ったことがあるけど、競輪で乗る本格的なピスト自転車は経験がなく、感覚が掴めなかった。体力やスキルが戻った実感もなかった」
退路を断っての挑戦は不安であったが、不思議と自転車に乗っていると気持ちは落ち着いた。
「練習はキツイし、乗る前は嫌だなと思っても、自転車に乗ると楽しかったんですよ」
そして、練習でも競輪学校の合格タイムを出したことはなかったのだが、本番で見事に一発クリア。
「僕もビックリしたし、川崎競輪場の人間が“なんでアイツが?”って、一番、驚いたと思いますよ(笑)」

競輪学校在校中、堀内自身、成長したという実感は掴めなかった。ただ、師匠(三住博昭・神奈川61期)から朝練と自主練はシッカリやるように言われていたことをはじめ、真面目かつ忠実に競輪学校で生活を送る。
「僕は24歳で、しかもタイム的にもギリギリで競輪学校に入れた。入学前の事前研修でもがき合っても、みんなが圧倒的に強かった。デビューに向けて、このままの力量じゃマズイなって。サラリーマンを辞めて、プロとしてやっていかなくてはいけない気持ちが強かったので、気を緩められる時間は1秒もなかったです。吉田(拓矢・茨城107期)と新山(響平・青森107期)が抜けていましたね。山岸(佳太・茨城107期)が同い年で、小川(真太郎・徳島107期)が同じクラスでした」
競輪学校の生活は長く感じられた。それでも、長期休暇で地元へ戻った時は友人の車に乗せてもらい(競輪学校在校中は運転不可)、ファミレスへ行くだけで楽しかったというエピソードが実に堀内らしくて!?微笑ましい。
「日常のなんでもないことでテンションが上がって面白かった。そんな息抜きもできたから競輪学校でも頑張れたんだと思います」
競輪学校卒業後、堀内のタイムは確実に伸びていたのである。

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