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競輪

2017/07/12

Perfecta編集部

競輪ドキュメント第2回/近藤隆司(千葉90期)前編

競輪ドキュメント第2回/近藤隆司(千葉90期)前編

遅咲きのアスリート・レーサー 近藤隆司(千葉90期)前編

結局は身体が大きかったアドバンテージ

『水泳で五輪に出て、競輪選手になる』
近藤隆司は小学校の卒業文集で、将来の夢をそう綴った。
小学校5年生くらいの頃だったと記憶している。父親から「競輪選手を目指せっ!稼げるぞっ!」と、母親からも「お金持ちになれるかも知れないわよ」というニュアンスの言葉をかけられたという。幼少時、身体も大きく(中学校入学時には身長170cm超)、水泳の大会で活躍していた近藤は運動能力面での自信に満ち溢れていた。
「ただ、結局は身体が大きかったアドバンテージで強かっただけなんですよね」
中学でも水泳部に入部して、日々、練習に明け暮れた。しかし、周囲の友人たちに身長で追い付かれると共にタイムが伸びなくなった。千葉県内の大会ではどうにか勝つことができたものの、全国大会常連選手との実力差を思い知らされる。日本選手権すら出られない……。
高校進学後も水泳を続けるが、自由形から平泳ぎに転向。短距離ならばどうにか勝負できるレベル、水泳に対するモチベーションを落とさずに済む。そして、高校1年の関東大会で、同種目の北島康介(1学年上)の泳ぎを目前で観る機会に恵まれた。
「驚いたというよりは、ただただ感動しました。飛び込んで水中から出て来たら、他の選手よりも身体は一つ以上前」
異次元にも感じた北島の泳ぎは感動であると同時に、大学で水泳を続けるという選択肢を頭の中から消す残酷なものでもあった。高校2年夏の進路相談の際には、進学しないで競輪選手を目指したいと、先生にも伝えた。

実際に競輪選手になるアクションを起こしたのは、ほぼ高校卒業と同時。愛好会というアマチュア選手が集って行う記録会が月に2〜3回あったので、まずは競輪学校合格を目指すために近藤も参加するようになった。
「競輪選手になれなかったら、父親と同じ仕事(運送会社のセールスドライバー)でもいいやと。親がやっている仕事を保険っていうのも失礼なんだけど、当時はそれくらいに考えていましたね(苦笑)」
しかし、すぐに近藤は愛好会の指導員だった藤代長武(千葉53期)に弟子入りすることが決まる。また、後に競輪学校で同期となる高橋雅之(千葉90期)にも声を掛けてもらい、高橋の兄弟子になる廣田久将(千葉83期)らとも練習を重ねて、競輪学校の受験は2回目で合格するに至った。
そして、この時期、近藤は夕方から深夜(17〜23時)まで牛丼屋のアルバイトにも励んでいた。
「1ヶ月、フルで頑張ってもバイト代10万円がやっと……稼ぐのは本当に大変だなって、実感しましたよね。高校を出て、すぐに競輪学校へ行って、いきなり競輪選手になっていたら。絶対にそういう苦労を知らなかったと思います」
水泳競技での夢が破れて、新たなる夢を追いかけながらの下積み時代を振り返る。その懐かしむ柔らかい表情から、近藤にとって自転車の練習とアルバイトに明け暮れた時間はかげかえのないものであったことは間違いないだろう。

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