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2017/07/13

Go Otani

エッセイ「競輪場の在る街」Vol.3〜岸和田

エッセイ「競輪場の在る街」Vol.3〜岸和田

もう15年以上も前のこと、20歳前半の頃に泉佐野という街に住んでいた。大阪府でもずっとずっと南の方、関西国際空港の対岸の街である。現在はどうなっているか分からないが、当時、関空開港に合わせた開発がうまく進まず、空き地が多かった。
小学校を卒業する際に担任の先生が言った。「これから君たちは、何らかの形で、関西国際空港に関わっていくはずである」

それが開港5年前のことである。そのようなクラス全員が関わるような大事業なんだと小学生ながらに心ときめかせたにも関わらず、実際に近くに住んでみると、閑散とした感じがさみしかった。空港に渡る橋を挟んで両側に高層ビルが建つといった完成予想図を見た記憶もあったが、実際には片方しか建たなかった。
しかし、当時の愛車、YAMAHAのYB-1(クラッチ付きの50cc二輪車)にまたがって10分も走ると、海沿いにひなびた漁村のような風景を見つけることができ、その雰囲気は大好きだった。
そのYB-1で毎週のように、26号線を突っ走り、天王寺やミナミに遊びに行っていた。その途中にあったのが岸和田である。

ある日、ミナミに行った帰り道、26号線ではなく海寄りの道を走り、岸和田の街に迷い込んだ。城下町だけあってクランクした道筋が行く手を阻む。ちょうどその日、だんじり祭りだったこともあり、法被を着たいかつい兄ちゃんやおっさんたちが至るところでたむろっている。まるで、単騎で岸和田城下に攻め入って、敵の抵抗に遭い、城までは行けないことを悟った上で逃げ道を探っているような感覚になる。祭りに参加どころか見学もできずに逃げ帰る我がYB-1の甲高いエンジン音は、ひなびた漁村に向かっていった。それ以降、岸和田の街をYB-1で通ることはなくなり、次に行くなら徒歩で、と思いながら、早15年が経つ。

Text/Go Otani
Photo/Joe Shimajiri

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