TOP > 競輪 > “帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.4

競輪

2017/07/20

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.4

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.4

真夏の祭典を終えて

戦法とレース運びに幅を持たせる


真夏の祭典、伊東温泉競輪場でのG2サマーナイトフェスティバルが無事に終了しました。
ガールズケイリンフェスティバル2017では小林優香選手(福岡)が3連勝で優勝。 日本一を決めるようなメンバーの中で、初日からピン・ピン・ピン(1着・1着・1着)で優勝できるということは、強さは頭一つ抜けているのではないでしょうか?
決勝戦のレース内容も、混戦にも強いというレース運びで隙が見当たらない感じでした。体重も落としてスピードに磨きをかけてきたということでしたが、欲を言えば一日ぐらいは先行する姿も観たかったです。戦法の幅を持たせるということは、ますます相手にとって戦いにくい選手になるはず。 競技と両立して頑張って行くようですが、世界のトップ選手たちと対等に戦えるようになることを期待しています。ますます練習、頑張って下さいっ!

さて、男子の方は新田祐大選手(福島)が9秒1の弾丸捲りを決めて優勝しましたね。
初日の新田選手はメンバー構成上、単騎での戦いになり、どのようなレースをするのか楽しみにしていたのですが、最後尾からの追い上げで4着。今の強い平原康多選手(埼玉)の上を捲れるようになれば、間違いなく日本一にはなると思いますが、なかなかライバルたちは簡単には勝たせてくれませんよね。その辺りの工夫が観たかったですよね。
準決勝も根田空史選手(千葉)の先行を8番手から捲って、番手の渡辺選手に差されこそしましたが、9秒4の高タイムでしたから調子の良さは感じ取っていたんじゃないかと思います。 決勝戦も近畿勢に先行されて6番手からの捲りに なった訳ですが、9秒1の高タイムで捲り切り、見事に優勝し“夜王”と、呼ばれるようになりました。
新田選手のトップスピードは誰もが認める武器だと思います。武器を磨くことも大切ですが、捲りのみの戦いでは調子を落とした時に着をまとめるための誤魔化し走法をするということが難しくなってしまうのではないでしょうか?もう少しレース運びにも幅を持たせられるように努力して欲しいですね。

男女共に優勝した選手は世界に目を向け、ナショナルチームの一員としても頑張っています。競技との両立は大変ですが、自分の能力が向上して行っていることを徐々に感じ取れるようになってきたのではないでしょうか?この先、ますます進化して行く姿を応援する側は楽しみにしたいと思います。

来月はG1オールスター(いわき平)


世間ではまだ梅雨明け宣言も聞いていないうちに、サマーナイトフェスティバルは終わってしまいました。真夏の祭典と聞くと、やっぱり、8月の猛暑日に徐々に涼しくなってきた時間帯にレースをしているというイメージがあるのは私だけでしょうか?ビール飲みながら仲間たちとワイワイ、綺麗な電飾なんかを観ながらレースを楽しむ。そんなファンみなさんの姿をイメージしています。

来月、8月のG1オールスター(いわき平)はとても暑い中でのレースになります。選手のみなさんはもちろんのこと、場内のファンの皆様にとっても過酷な開催にならないことを願っています。熱中症などには十分に気をつけていただき、また、次回も現場で選手たちを応援してもらいたいと思います。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2002年に記録した年間最高賞金2億4,434万8,500円はいまだに破られていない
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

ページの先頭へ

メニューを開く