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競輪

2017/07/22

Joe Shimajiri

競輪ドキュメント第2回/近藤隆司(千葉90期)後編

競輪ドキュメント第2回/近藤隆司(千葉90期)後編

遅咲きのアスリート・レーサー 近藤隆司(千葉90期)後編

もうスナック菓子は食べない

近藤隆司が競輪選手になってからの一つ目の転機、それはデビューからもう少しで丸3年になる5月末のこと。
「弱い選手ほど道具に頼ってしまうんですよね、僕もそうでしたから」
当時、近藤はシューズが合う、合わないで試行錯誤……必要以上、いや、無意味にこだわっていた部分があったという。自分に合うシューズさえ見つければ、勝てるようになるかも知れない。要するに他力本願的なものが強かったのだ。
ところが、斡旋されたレースを間近に控えて、練習場所に新しい1足を忘れてしまう。翌日に気付いたものの、新しいシューズが近藤の元に返ってくることはなかった。「残った1足でやるしかないよなっ!」と、開き直って豊橋競輪場入りした。
1日目が2着、2日目も2着で決勝進出を果たして、決勝戦を制しての嬉しいA級初優勝。
「道具に頼るとかじゃない、そういうことじゃないんだということが分かった」
上にはいけないと、諦めかけていた近藤にやる気がみなぎり、大きな自信も芽生えた。
また、呪文(戦術)を少しずつながらも覚えてきたのは大きかった。具体的には先行時のペース配分や距離感を掴み、バック本数が増えて逃げ切ることができるようになったのだ。
「本当にギリギリの逃げ切りばかりでしたけれども。これでどうにか24歳でS級に上がることができました」

それから、5年余が過ぎた2013年4月の小田原競輪場で、近藤は神奈川の先輩を後ろに付けて不甲斐ないレースをしたことがあった。そのことで水書義弘(千葉75期)に叱責(しっせき)される。最初は「あれが俺の限界なんだよ」と、水書の言葉が鬱陶しくも感じたが、近藤自身も悔しかったのは確かなこと。そこで水書から「お前、家でゲームばかりやっているんだったら。自宅で筋トレできるように器具を揃えたらいいんだよ」という提案があった。しかし、その時に住んでいたアパートでは実現が難しい話しだったので、6月に近藤は新築の賃貸マンションへ引っ越したのだ。
ただ、転居後、生活に必要な家具はもちろんのこと、部屋の広さに合うトレーニング器具などを見繕ってから揃えるには約3週間はかかる。そこで近藤は「デビューも7月1日でしたし、キリが良いなと。うん、もう6月はレース以外は何もしない、徹底的に怠けることにしたんです」という大胆なプランを実行。
「本当に前検日の時に、久々に自転車に乗るみたいな生活でした(笑)」
7月1日から生まれ変わることを誓い、6月30日までは頑なに練習をしない、ジャンクフードばかり食べる、スナック菓子三昧……。その結果、名古屋競輪場で9着・9着・9着という「それはそうですよね(苦笑)」と、不本意ながらも納得の成績に終わった。だが、6月30日の夜に大好きだったピザポテトを2袋食べ切って「これで終わり、もうスナック菓子は食べない」と、自堕落な生活に終止符を打った。

念願のS級初優勝

そして、デビューから8年目を境に近藤の生活は激変した。毎日、練習するのはもちろんのこと、これまでには考えられないくらい食事にも気を配るようになる。
「揚げ物も食べない(もしも食べる時は衣を剥がす)、カルビじゃなくて脂の少ないロース、同様にトロじゃなくて赤身、調味料(醤油・ソース・ドレッシングなど)もレース時は一切使わない」
定食屋で大好きな焼きサバを頼んだ時も、紙ナプキンを押し当てて、脂分を可能な限りは取り除く。すると、1ヶ月で肉体が変わってきて、成績も顕著に向上する。さらに8月に参戦した立川競輪場のF1国際競輪が大きな転換期となった。
「ゲンちゃん(=二藤元太/静岡95期)に、外国人選手の話しを聴きに行ってみようか?って、切り出したら『いいですね、行きましょうよ!』という流れになって。それで通訳さんにお願いしてみたら、彼らもノープロブレムだよということで。でも、ゲンちゃんがいなかったら、僕1人では聴きに行くことはなかったと思います」
短期登録のシェーン・パーキンス、サイモン・バンベルトーヘン、スコット・サンダーランドの3選手が通訳を介して、近藤と二藤の質問に何でもフランクに答えてくれた。ウェートトレーニングの方法、自転車のセッティング、サプリメントの摂取の仕方などなど。目からウロコのことばかりで、特にパーキンスからの「ハンドル幅を狭くしてみたらどうだ」という助言が、その後の近藤の競輪選手人生を大きく変えることになった。
「フォームにもよるんですけれども、僕には合いましたね。直進性と推進力が増した。380mmから360mm、たった20mm=2cmだけ狭くしたことで劇的に走り自体も、結果も良くなりましたよ」
S級になってから約5年、1回もS級及びF1の決勝には進んでいない。記念競輪でも準決勝に進出したのが1回だけの近藤だったが、外国人選手の助言を受けてから2ヶ月後に初のS級決勝進出(岸和田)を果たす。さらにその1ヶ月後の2013年11月12日には、念願のS級初優勝(小倉)を成し遂げた。
「郡司君(=浩平/神奈川99期)の番手回りだったんですけれどもね。決勝を走れるのも不思議で仕方なかったのに、まさか優勝できるなんて。一番の転機でしたね、ようやく身体と気持ちが噛み合ってきたタイミングでした。走るのが楽しくなってきましたね」
練習と食事……特に食事に関しては、最初は我慢でしかなかった。競争終わりくらいは、招かれたら酒席にも顔を出すことはある。角煮、串かつ、ピザなど、かつての大好物が近藤の目の前に並ぶ。だが、結果が出てきたことで「もっと良くなる、もっと良くなる、結果に直結するから楽しい」と、口に運ぶのは枝豆や冷奴、サーモンのサラダ程度に留まるようになった。
「取り分けて貰ったりして、手を付けないで残してしまうのは本当に申し訳ないんですけれどもね。だけど、自分はまだまだ成長しなければならない立場の競輪選手ですから」

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