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競輪

2017/07/31

Kimi Kitamura

“女王”がガールズケイリンに挑む!豊岡英子(日本競輪学校114回生)

“女王”がガールズケイリンに挑む!豊岡英子(日本競輪学校114回生)

新しい世界への挑戦

冬に本格的なシーズンを迎え、過酷なコンディションで行われるシクロクロス。その競技で2011年までの7連覇を含む通算8度、全日本チャンピオンに輝いた豊岡英子がガールズケイリンへ転向。今年5月に日本競輪学校に入学した。

シクロクロスは未舗装の悪路(オフロード)区間が設けられたコースを周回し、順位を競うレース。コースには人工の障害物(柵・階段など)が設けられ、自転車を担がなければならない部分も作られている。
ロードレースのオフシーズンである冬がメインシーズンのため、氷点下で吹雪は当たり前。また、コース全面に積雪するなど、冒頭で述べたように、その過酷さは他の自転車競技を凌ぐ。泥まみれになりながら自転車を押し、時には担ぐこともあることから『自転車の格闘技』とも呼ばれている。
そこに長年“女王”として君臨して、“姫”の愛称で、ピンクのヒョウ柄ジャージにキラキラのデコヘルメット、子供から大人まで人気を集めた選手が豊岡だ。

競輪学校への挑戦を決意したのは3年前。レース中の怪我で、長期のリハビリを強いられていた時だった。2012年は2位で8連覇を逃して、2013年は4位。不振に苦しむ中での翌年の大怪我は、ゆっくりと自分を見つめ直すきっかけとなった。
「全日本をもう1度獲って、新しい世界に挑戦したいなと思った」
その言葉通り、怪我続きの苦しい時期を乗り越え、3年ぶりにタイトルを奪還。そしてシクロクロスに一つの区切りをつけた。しかし、そこに“自転車を辞める”という選択肢はなかったという。
「シクロクロスには一段落というか、完全燃焼してしまいましたが、当時34歳だった私に自転車から降りることは考えられませんでした。まだ自転車に乗って闘いたい、今までの経験を活かしたいと、考えた結果がガールズケイリンでした」

“感覚”の移行

ロードレーサーから競輪選手への転向は、同じ自転車競技でも全くの別物で、陸上競技でいえばマラソン選手から短距離選手になるようなもの。身体づくりの見直しなど、容易なものではない。現に豊岡も2015年の受験では不合格の苦渋を味わった。
「自分の感覚でもシクロクロスのものがまだ残っていましたね。競輪の感覚に移すのはとても難しかったんですけれども。前回の試験に落ちてから1年間、長距離から短距離に移行するトレーニングに専念してきました」
肉体改造よりもさらに難しい“感覚”の移行に苦労しながらも、長年培った経験をベースに自らを追い込み、2016年、見事114回生に合格した。

豊岡に、第二の道として選んだ“ガールズケイリン”の魅力を尋ねると?
「なんといっても選手の多さです。日本の自転車競技の中で考えると、シクロクロスは女子選手がどうしても少なかったので。色々な選手と戦えるのも魅力です。あとはすぐに決着が着くところ(笑)。シクロクロスは本当に過酷でしたから。そして、頑張れば頑張るほど、賞金も立てる舞台も高くなっていくところですね」

シクロクロスで一時代を築いた豊岡が別の自転車競技を始めたとなれば、注目度も高くなる。
「もうワクワクでしかないですね。もちろん長く自転車競技をやっていて、たくさんのファンの方々にも知られているので、競輪に行って全然アカンやんとは言われたくないし、そうならないように努力していきますけど。挑戦者の立場になれることがとにかく楽しいんです」と、不安や恐れは、彼女には全くない。

豊岡のストロングポイントは鍛えてきた体と、シクロクロスで培った練習量の多さだ。
そして、自転車のスキルはもちろんだが、彼女の最大の強みは“経験”ではないだろうか。
全日本選手権で8度も頂点を極めるほどの圧倒的な強さを誇った女王時代では、迎え撃つ立場としての責任と苦しさも経験した。
「それは苦しかったですよ。やめることは本当に簡単。でも、続けることでしか生み出せないものって絶対にあると思うんです。その経験は私の強みだと思います」
同期生に18才もいる中で、36才での挑戦となる。スポーツ界のモノサシで見れば、肉体的には断然不利だろう。しかし、肉体のみのアドバンテージだけでは勝てないのが“競輪”の醍醐味だ。
「夢を叶える秘訣は、好奇心、自信、勇気、継続」という言葉がある。この全てを持ち合わせた彼女の新たな挑戦に心からエールを送りたい。

Text & Photo/Kimi Kitamura

【略歴】
豊岡英子(とよおか・あやこ)
1980年8月10日生まれ 大阪府出身
追手門学院高ー神戸松蔭女子学院大(中退)ー大阪体育大
大学時代はトライアスロンの選手であったが、後にシクロクロスに転向
全日本シクロクロス選手権大会では
2005〜11年まで7連覇を含む8度の優勝
現在、日本競輪学校(114回生)在校中

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