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競輪

2017/08/17

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.6

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.6

一体、何が起こるのか!?

今年の日本は色々な記録が塗り替えられ、記憶にも残る出来事が非常に多い年になっています。
将棋界では藤井聡太四段のデビューから29連勝という華々しい記録ある一方で、加藤一二三九段が約63年にも及ぶ現役生活にピリオドを打たれました。高校球界では高校通算ホームラン記録タイの早稲田実業高・清宮幸太郎君が大注目(今後もU-18ワールドカップで記録更新の可能性あり)でしたが、西東京の決勝戦で破れて甲子園出場は叶わず。相撲界では優勝回数など記録更新ずくめの白鵬関の凄さを改めて実感した次第。
おめでたい記録とは正反対に、記録的豪雨による被害者や被災地の悲しいニュース、核ミサイル問題で世界に不安を与える出来事など。何にしろ前人未到や前代未聞、記録的という言葉を何度も耳にしている年なような気がします。
そんな世間の流れに乗ったのか、競輪界でも短期登録のマタイス・ブフリ選手が大宮競輪場のバンクレコード(500m走路)を打ち立てるといった勢い付いた後に、次はどんな記録が生まれるのか?と、ワクワクしながらオールスターを迎えたことを記憶しています。ですが、ここで先にオールスターを終えての一言……「何だかガッカリした開催になってしまったな」でした。

勝ち上がりは熾烈(しれつ)な争いになり、厳しい攻めになることも当然ながら理解できる。しかし、今オールスターはとにかく落車が多かった。ゴールライン直前ならまだしも、観ているファンの方々にとって“さぁ、ここから!”と、テンションが高くなる前、レースが佳境を迎える前に応援している選手が離脱。これは人間の脳、観ているファンの記憶には残念なイメージが先行してしまう悪いケースに思えます。
そして、決勝戦当日にも前代未聞のハプニングが。。。
審判員が周回通告を誤り、全額払い戻し(2億円以上)という大失態を招くことに。私は競輪界に携わって30年近くなりますが、このような記憶はさすがにありません。それだけに私の中でも、残念なイメージとして強く刻まれてしまいました。
このアクシデント直後のレースでも失格や落車が伴って高配当になり、何だか空気が悪いままと感じる中での決勝戦。なんとその決勝戦でも優勝候補の1人として名前の挙がっていた深谷知広選手(愛知96期)の番手を回る竹内雄作選手(岐阜99期)が、2周半も残したところで落車。この落車も未熟さが出た落車であったように思えるので、ガッカリ感が増すばかりでした。
優勝したのは地元の渡邉一成選手(福島88期)でありました。特別競輪を優勝するというのは相当大変なことですし、相当おめでたいことです。その大きな感激を、競輪ファンを含めて、競輪界に携わる全ての人間で味わうことができなかったこと。これがどれだけ罪なことかを考えて、今後に活かしていかなければ競輪界に明るい未来はありませんよね。
今回の件は優勝した渡邉選手には何の責任もありません。レース後に「内から抜いたことに少し後ろめたい気持ちがあり、心の底から喜べない」という旨のコメントをしていましたが、自力選手が勝負どころで内を空けるのは自己責任です。そのような展開における一つの戦術ですから、優勝は胸を張って喜んでもらいたいと思います。優勝した渡邉選手、本当におめでとうございます!

【世界で戦える脚力をつければ、今の日本の競輪界レベルでは負ける気がしない】
決勝戦の上がりタイム(10秒7)を見ても高速化が加速しています。もう20年も前から私が言い続けてきたことが、ようやく実証されてきたようで嬉しいです。短期登録選手を見て、それをもっと痛感して欲しいです。

特別競輪も残り2戦(前橋・小倉)、若手の活躍やベテランの調子回復など、ファンの方々の期待は尽きることがありません。季節の変わり目を迎えて、選手たちは今後も体調管理はシッカリして練習に励んでもらいたいです!
今回は1人の競輪ファンとしての心の声をお届けしました(笑)。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2002年に記録した年間最高賞金2億4,434万8,500円はいまだに破られていない
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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