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競輪

2017/10/13

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.9

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.9

前橋G1寛仁親王牌を観戦して

毎年、必ず強く感じるのは『寛仁親王牌出場権の獲得条件=全プロ大会における成績上位者』ということ。これは自転車競技における優秀者が、競輪の成績優秀者の出場する特別競輪に参加できるということです。各特別競輪において特色を持たせるということは大変良いことだと思いますが、この大会は競輪という競技ではG1出場レベルに達していないと思える選手も参加可能だという側面もあるのではないでしょうか。だから、二段駆けレースが他の特別競輪と違って多く見られます。
尚、昔の補充制度は得点が加算されなかったので、補充選手が先頭に立って先行するレースがよくありました。この寛仁親王記念杯という大会は参加するだけで持ち点が上がるという選手もいます。それについて賛否両論あるのは事実ですけれども、予想する側はそれも含めて予想することが車券戦術の必須事項になってきます。

もう一つは、前橋のドーム開催になるとスピード競走になります。今はギアをかけている時代になったので、33バンクの場合は残り2周で先行したい選手は先頭に立っていないと前に出させてもらえないレースになっています。そういう背景もあって、開催4日間、誘導員早期追い抜きのレースばかりでした。誘導員退避させると重大走行注意というペナルティー(事故点加算)が与えられますが、前に出なければレースの勝機を失ってしまうバンク特徴なので勝負に徹して前に出ざるを得ません。こういうレースを再三、目の当たりにすると競技規則やルールって、一体なんだろう? と、疑問を感じてしまうのです。こういった疑問は私のような現役から離れた選手ではなく、業界全体で考える事案であるはず。現在はミッドナイト開催も多く、労働時間帯などでも選手たちの負担は大きいのは確かなこと。文字通りに日夜、頑張っている選手たちがストレスを感じることは早急に対応する必要があると、私は思うのです。

決勝戦はご存知の通り、渡邉一成選手(福島88期)がいわき平G1オールスターに次ぐ特別競輪連覇を達成しました。2着は新田祐大選手(福島90期)、3着は成田和也(福島88期)で福島県勢の上位独占という結果。優勝した渡邉選手はもちろんのこと、ラインを固めた新田選手と成田選手の力もあっての優勝ということをファンの皆様も理解されていると思います。競輪は1人の力だけで優勝できるものではない、そのことを常に思い続けることが強さの継続になる形をこれからも示して欲しいです。

この場を借りて、一つ苦言を呈するとすれば……4人も決勝戦に乗った中部勢に作戦がなさすぎました。もう少しレース後の反省の弁に悔しさが表れている言葉が出ても不思議じゃない負け方、惨敗でした。中部の先輩として厳しい物言いになりますが、優勝できるチャンスに優勝しておかなきゃ!何度もチャンスが回ってくると思ったら大間違いなのですから。
今の中部勢に恐ろしさを感じない一番の理由は『司令塔と呼ばれる人』がいないからです。特別競輪は誰でも勝ちたいに決まっています。レースに作戦があるように全ての選手が特別競輪で優勝できる戦略だってあるのではないでしょうか?競輪はケイリンと違って個の戦いじゃないということを改めて考えさせられる寛仁親王牌でした。

次回の特別競輪はグランプリに向けてラストチャンスの小倉G1競輪祭です。選手たちには悔いのない仕上げで、参加することを願っています!

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2002年に記録した年間最高賞金2億4,434万8,500円はいまだに破られていない
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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