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競輪

2022/10/05

P-Navi編集部

村上義弘選手の引退記者会見

村上義弘選手の引退記者会見

先月29日に現役引退を表明した村上義弘選手(S1・京都73期)の引退記者会見が都内で行われた。
常に見るものを熱くするレースで駆け抜けた現役生活28年に今、ピリオドを打つ__。

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◆村上義弘選手のコメント◆
この度、村上義弘は競輪選手を引退をすることをご報告申し上げます。
引退を決めた理由は、燃え尽きた。競輪選手として、心身ともに完全燃焼できたと思えたからです。
競輪選手になって28年間、日本一の選手を目指して頑張ってきました。
自分が理想とする日本一には残念ながらなれませんでしたが、自分が歩いてきた道のりに後悔はありません、
引退を決意した今日まで、村上義弘は多くの皆さんに支えいただきました。仲間、友人、家族、そして何よりも多くのファンの皆様に愛されて、誰よりも幸せな競輪人生を送れたと思います
28年間、本当にありがとうございました。

村上義弘

~質疑応答より抜粋~
◆引退を決めた瞬間
「前回(松阪F1)の最終戦。松阪の出走表を見たら、連対率が0%。こんなことは初めて。初日、2日目はダメで、3日目は自力で動くメンバーになった時、そのとき僕のレースに取り組む気持ちは変わらずに、勝負する気持ち。レース展開は2番手に飛びついて1着になりましたが、久しぶりに自分らしい、気持ちが弱気にならず、組み立てられました。ずっと自分が連に絡めなくて、ファンをがっかりせていたのを、その一つのレースで納得してもらえたら、納得してもらいたいという気持ちになった。これ以上、無様なレースを見せ続けることは、よくないかなと思いました。負け戦でしたが、村上のレースはさすがだなと思ってもらえるなら、ここで引けばいいのかなと」

◆今の心境
「競輪を走れない、あの興奮、場内の一体感。それを味わえないと思うのは寂しいです。でも、本当に燃え尽きた、やり切った。デビューしたころに、座右の銘に掲げてきた「完全燃焼」、その気持ちでいられましたし、これからは競輪の仲間の応援に回りたいと思います」

◆家族へ
「妻には松阪から帰って、その場でこれを最後にすると伝えました。最初は驚いていました。引退レースを思い描いてたいと思いますけど、それもなく。でも、妻も娘も、何も言えず『お疲れ様でした』と。それが何より嬉しかったです」

目を潤ませながらも笑顔で応える村上義弘

◆引退発表した時の思い
「感覚的にはホッとしたんだと思います。14歳から競輪選手を夢見て、自転車に乗り始めて、競輪のこと、練習のこと、毎日そればかりを考えていたので。今でも決断してから1カ月弱、自然に考えてしまいます。考えたときに、もう考えなくていい、もう体が痛くてもいいんだと。すべて荷物を降ろしてもいいんだと思いました」

◆今後について
「全く白紙。突然の決断だったので。ゆっくりと家族孝行できればと」

◆改めて博幸選手への思い
「博幸は僕がいて、つらい思いをしたと思います。兄弟で強く思う反面、強く当たることも多かったですし、博幸が自転車に乗り始めてから、それこそ25年ほど、その間、敬語で話すことになって。兄弟でありながら、兄弟ではない部分がありました。立場が変わって、昔のように、また兄弟に戻れるならいいかなと思います。選手として家族として、お袋を喜ばすこと、それは博幸に託します」

◆理想の走り
「競輪選手は他のプロスポーツと違い、お金を賭けることで託されている。お金を賭ける立場なら、本当に自分のすべてを背負ってほしいと思う。勝てばうれしいけど、負けても、その結果、村上は負けたけど仕方ないとファンが納得してくれるレース。また、ラインで一緒に走る仲間であっても、敵であっても、勝負だから何をしてもいいわけではない。それぞれの勝負に納得できる結果を残せる選手になりたいと思っていました」

◆最も燃えたレース
「ひとつ自分のプロとして勝負師としてターニングポイントとなったのは、初めてG3を優勝した地元向日町の平安賞。松本整さんには本当に練習も公私にわたってかわいがってもらいました。その松本さんがゴール前で自分を抜くために、体をぶつけてきてくれた。その本気。それが当時の自分の甘さと、その後の自分の競輪選手生活、人生にとって大きな宝物という感じです」

◆競輪への思い
「選手の気持ちのままかもしれないですが、時代、時代に素晴らしい選手がいて、僕も素晴らしい仲間に囲まれて。それぞれにそれぞれのファンもいて。この先も、ファンの思いを乗せられる、特殊な競技でありますし、選手もしっかり責任をもって、ファンも一体となってほしい。自分が走ってきた一番良かったのは、勝った時に場内が一緒に喜んでくれた、地鳴りがするような瞬間。あの瞬間をどんどん作っていってほしいし、そうなっていけると思います」

会見に駆け付けた山口幸二、市田佳寿浩との撮影する村上義弘

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【弟である村上博幸選手からのメッセージ】
兄へ
28年間の選手生活お疲れ様でした。
引退すると聞いてから、今までのことが走馬灯のようによみがえってきます。いつものようにピリピリ感を漂わせながら、バンクに来るんじゃないかと思うくらい今でも引退が信じられません。
自分が競輪を始めたころから兄は強くて偉大な存在であり、「競輪とは」「競輪選手とは」ということを常に教えてもらいました。競輪に対しての熱意、どんな難局にも立ち向かう精神力、常に持ち続ける向上心、努力し続ける姿勢、様々なことを兄の背中を見て、学ばせてもらいました。数々のレースで見せてくれたドラマやカリスマ性、人の心までをも動かす兄の走り、全てが唯一無二であり、今後の競輪界にも語り継がれていくことだと思います。
兄弟での師弟関係は、時として感情が入りすぎることもありましたが、普通の師匠と弟子、普通の先輩と後輩、普通の兄弟とも違う、自分達兄弟でしか成り立たない関係があったからこそ、今の自分があると思います。心から感謝しています。兄の競輪人生の中に、少しでもともに過ごせた時間があったことを嬉しく思います。

最後に、
お兄ちゃん、28年間本当にお疲れ様でした。
そしてありがとうございました。

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◆村上義弘選手の戦歴◆
1974年7月6日生、48歳
73期として1994年4月9日に小倉でデビュー。
S級に昇格後、1997年3月に向日町でS級初優勝。
2000年2月にふるさとダービー豊橋でビッグレース初優勝。
さらに2002年11月に全日本選抜でG1初制覇を達成した。
2012年、16年にはKEIRINグランプリを優勝。日本選手権競輪も4度制するなど競輪界のトップを牽引し続けた。

獲得したタイトルは
KEIRINグランプリ(12年、16年)
日本選手権競輪G1(11年、13年、14年、16年)
オールスター競輪G1(03年)
全日本選抜競輪G1(02年)
共同通信社杯春一番G2(10年)
ふるさとダービーG2(00年、02年、03年、04年)
通算出走数は2236走
1着655回、2着320回、3着247回
優勝回数91回※G3優勝は35回

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