TOP > 競輪 > LEVELの信念

競輪

2018/01/17

Perfecta編集部

LEVELの信念

LEVELの信念

[これからはオーダーメイド自転車の時代だ]

ウチは創業68年かな。
私が二代目、父親がやっていた時はミヤタ、マルイシ、ブリジストン、マルキン、ナショナル(現パナソニック)あたりが一流メーカーでしたね。
一流メーカーの自転車が3万円、安物が1万5千円のところウチはその中間みたいな感じでした。
一流メーカーに負けない自転車を作ろうとすると3万円より高くなってしまう。
そういう中途半端な位置だったので経営も苦しくなっていった。

私が高校卒業の頃だったかな?
父親から仕事を手伝ってくれと、お願いされたんです。
父親は山形出身の職人で無口、父親にお願い事されたのは初めてだった。
だから、ちょっと嬉しかったのもあって手伝うように(笑)。
最初は配達(車)などの手伝い。
ただ、ちょうど業績が少しずつ落ちていった時だった。
そんな時(1974〜75年頃)に私がオーダーメイドの自転車があるってことを聞きつけたんです。

オイルショックの頃、部品(特にバンドブレーキ)が不足していた。
自転車は一品でも欠けると完成しない。
東京だと大田区は大手の下請け、荒川区はその孫請け、曾孫受け。
零細企業の集まりなので、荒川区は工場の数は多かった。
自転車の中堅メーカーも5〜6社くらいあった。
その周囲にハンドル屋、ブレーキ屋、ベル屋、ペダル屋とか。
さらにベルのバネを作っている、ブレーキやペダルの部品を作っているとか。
メッキだ、塗装だ、自転車関連の工場が300社以上あった。
東の荒川(東京)、西の堺(大阪)と言われていましたね。
ウチもその中の1件、父親(私が小学生の頃)が量産型実用車のフレームを下請けで作っていたことがある。
区画整理で土地が縮小されて、工場が小さくなったので作れなくなったらしいです。

私は理工系じゃないし、自転車のことは基本的に何も知らなかった。
自転車の組み立てを手伝っていたくらい。
逆に、そういう素人同然で、フレームを作ったこともなかったのが良かった。
人間、最初に教わったことが邪魔をする時もあると言うか、基本になっちゃうことが多いから。

サイクルショーに足を運んだ時、あるメーカーのブースでオーダーメイド自転車の商談をしているのが偶然、耳に入ってきた。
自転車を見ているフリして、その話しばかり聞いていましたね(笑)。
それから数日して、フレーム作りの神様と呼ばれる方に弟子入りを申し込んだ。
(神様=名前を出すのはNGだと言われている)
最初、無給での弟子入りを断られた、他人に教えるというのは凄い時間を要するから。
でも、こっちも必死だったので頼み込んだ。
結局、日曜だけだったらいいということになった。
日曜以外は友人の工場の片隅で溶接とか練習。
それで失敗したことを日曜に質問する。
予習をして、問答をして、復習をするという形でした。

ページの先頭へ

メニューを開く