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競輪

2018/01/17

P-Navi編集部

LEVELの信念

LEVELの信念

[競輪の世界へ]

正直、最初は自信がなかった。
自分の会社で出したものが壊れたりとか、悪い噂が出ると商売にならない。
既存メーカーの自転車フレームを100台でも作れば、少しは上手になる、自信も付くだろうと。
だから、下請けから始めましたね。
そんなで自信を少しずつ付けてから自社のロードレーサーなんかを作るようになりました。

競輪への登録申請、資格としては難しい。
自信が付いたのもあるし、ブームになっていたから受けにいった。
最初は窓口規制で門前払い、2〜3回目でようやく申請書を貰えた。
昭和55年、ようやく日本自転車振興会(現JKA)から免許(3年毎更新)が出ました。
ただ、登録したはいいけれども、まだ選手が誰も乗らない。
そして、数年後に塗装屋さんを介して、ある選手に乗って貰ったのが最初。
そこから弟子へと、その弟子が強かったおかげで少しずつウチのフレームを使ってくれる選手が増えていったんですよ(笑)。

ロードレースではそれなりに有名になって、メシが食えるようになっていた。
でも、結局は選手よりはスポーツとしての趣味の人の需要が圧倒的に多かった。
それでマウンテンバイクが出てきてからは売り上げが大幅に落ちる。
街乗りするにはマウンテンバイクの方が安くて頑丈。
ここでやっぱり、競輪に力を入れなければという方向になったんです。
競輪で使ってくれる選手を1年で10人ずつ増やしていこうと。
それで13〜14年で、150人くらいになった。
今は競輪選手の総数が減ったので、120〜130人ですけれどもね。
ウチの使ってくれる選手は浮気しない、諸橋君(愛=新潟77期)とか成田君(和也=福島88期)とか。

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