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2017/09/30

Go Otani

エッセイ「競輪場の在る街」Vol.5〜小田原

エッセイ「競輪場の在る街」Vol.5〜小田原

年末の小田原で、自転車を借りて走ってみた。もちろん、競輪場を走ったのではなく、小田原の街を、である。

ここで私は、小田原駅に集まっている線路に注目した。
小田原は、新幹線、東海道本線、小田急線などの主要路線が乗り入れる駅であるが、自転車を最大限に活用するなら、箱根登山鉄道か、伊豆箱根鉄道の大雄山線を身近に感じたいところである。そのうち、箱根登山鉄道は、箱根駅伝のコースと絡み合うように箱根を登っていく路線ということで非常に有名どころであるが、大雄山線は特にローカル線特有の哀愁を漂わせている。私は、大雄山線を自転車でたどってみることにした。

大雄山線が新幹線と東海道本線の高架の下をくぐり、内陸に向かって進路を変える場所にて大雄山線の踏切を渡る。踏切を渡ったところで、車両を見たくなり、しばらく待つ。ローカル線(しかも単線)はおそらく本数が少なく、この寒い中、ずっと待ち続けることになるかもしれないと思い当たった瞬間に、踏切がけたたましく鳴り始めた。大きなカーブの直後であり、更に踏切だからか、ゆっくりと三両編成の車両は過ぎていく。それを見送ってから、追いかけるように自転車で走り始めた。
線路に沿った道がなく、住宅やマンション、学校といった建物の隙間からチラリチラリと架線を見ながら、自分が大雄山線と並行に走っていることを確認する。ところどころ、小さな踏切を見たりする。ふと逆側を見れば、小田急線の架線も近い。

少し細々した道をたどると、五百羅漢という駅に着く。その駅名の面白さもさることながら、駅がマンションと一体化している(駅にマンションが併設しているということではなく、マンションに駅が含まれているという感じの)風景に、少し違和感を得る。
五百羅漢という駅名であるからには、近くに五百羅漢像があるのだろうと思い調べてみると、先ほど前を通って来た玉宝寺に、五百羅漢が安置されているよう。門前に自転車を止めて、こぢんまりとした静かな境内に踏み入る。そこには誰もおらず、五百羅漢の場所も分からない。どんどんと奥の方に進んでいくと、山の斜面に張り付くように墓地が広がっている。もはや五百羅漢を目指すというよりどんどん高みを目指すように墓地を登っていく。冬の空気は澄んでいて、かなり遠くまで見渡せるようになる。そして、一番高いと思われる場所に着いたとたん、なんだかずいぶん遠くまで来てしまったような感覚にとらわれた。しばらくぼんやりしていると轟音が聞こえた。見れば墓地の斜面とは逆の崖下にロマンスカーが新宿に向けて走っていくのが見える。新宿なら、毎日通勤時に通過している駅だ。そうして走りすぎる車両に親近感が湧いた。

Text・Photo/Go Otani

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