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競輪

2020/03/20

P-Navi編集部

小松崎大地(福島99期)選手インタビュー

小松崎大地(福島99期)選手インタビュー

小松崎大地(福島99期)選手が2020年3月より新たにスポンサード選手に加わりました。
昨年10月のG1寛仁優出牌・世界選手権記念トーナメントで2年連続優出するなど、グレードレースを賑わしている小松崎選手に今後の目標や意気込みをお聞きしました。

―今年でデビュー10年目に突入しましたが、ここまでを振り返ると?

出来過ぎかなとも思うし、もっとやれるのではないか、とも思っています。(野球から競輪に)飛び込んできて、本当に自分次第の世界だなということを一番に思っているので、かなり出来ている部分もあるかも知れないですけど……やっぱり、『まだまだ』だなという自己評価ですね。

―それまでの競輪のイメージと、転向してからのイメージに違いはありましたか?

競輪はそれまで未知の世界でした。選手を何人か知っていた部分はあったので、そういうところから挑戦してみようかなと、思うところはありましたが、分からないところがたくさんありましたね。野球とは全然、別物でした。競輪は個人戦で、野球は団体戦だと思っていたのですが、実際は逆だったなと(笑)。野球も競輪も自分の持ち場があるというのは一緒なのですが、野球は自分に飛んできた打球を捕ってから(*小松崎選手は外野手)自分のプレーをしますし、攻撃の時も状況に応じて、何をするか個々に役割が与えられています。逆に、競輪はライン戦なので、各々というよりは団体で動きますよね。それがイメージ以上に強かったです。

―2011年にデビューして、1年でS級に昇格。さらに2017年には大垣で記念初優勝を果たしています。

順調だと、よく言われますが、かなり壁にはぶつかったと思います。あの時は壁に当たって、1回、ストーンと、落ちた中での記念優勝でした。しかも前は新山(響平)と、後ろに成田(和也)さん。ラインの力で初めて勝てたことが感慨深かったですね。でも、そこから苦戦しました。簡単に言えば『本物の力』がなかったんです。勢いで上がって、ラインの力を借りて良い成績が出せていたところで、色々なところが噛み合わなくなって、歯車が狂ってきて、結果が出なくなりました。落車も多かったですし、ギア規制もありましたね……。色々なことが影響して、ダメな方に傾いていったので、また、そこから1年以上を要しましたね。

―その壁を乗り越えて、翌年から寛仁優出牌で2年連続のG1優出を決めました。今年の各メディアのインタビューを見ていても、小松崎選手から「タイトルを獲る」という明確な目標を掲げているのが目立つようになってきました。
よく言われています(笑)。『今まで物凄く謙虚なイメージがあったんですけど、急にそういう風に言われ出したのは、変化があるのですか?』と、聞かれるのですが、自分の中ではそんなことない。この世界に飛び込んだ時点で、師匠の岡部(芳幸)さんにも『タイトルを獲るつもりで、賞金王になるつもりでやらないとダメだぞ』と、言われていましたし、タイトルへの思いはズーッと、持っていました。チョコチョコ言っていたとは思うんですけどね(笑)。口に出すことによって、行動しなくてはいけなくなることもあるし、僕の中では良いことだと思っています。そんな大口を叩いている訳ではないですが(笑)、タイトルは一つの目標でありますし、当然、自分にプレッシャーも掛かってきますからね。

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